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アニバーサリー [家族]

今日21日は私の4?歳の誕生日です。
そして、もあとさらのお姉さんのココの誕生日でもあります。
明日の22日は23回目の結婚記念日です。[ぴかぴか(新しい)]
ただ、毎年、仕事が入っているので、夜にケーキを食べる位で、
ココが生きている時はそれでも、簡単なパーティをしていたのですが、
ココが虹の橋を渡ってからは、なんにもしていません。

それで今年は何か記念になる事をしようと思い立ち、兼用のリングを作る事にしました。
そのリングが先週、完成しました。
とても満足のいく出来で、いい記念になったね。と喜んでいたのですが、
なんというか、ココ父にはとても似合うのですが私には少しデザインが男っぽいかな?と・・・
ただ、ココ父は私の物は結構買ってくれるのですが、自分の物はほとんど買わないので、
ココ父の喜んでいる姿を見ていて、それだけで満足だったのですが、
『これじゃ、自分専用じゃん』と気にして、私専用の物をなんか買うと言い出しました。
私もそのリングをつけるからいらないよと言って、今年はこれで終わりという事になりました。

今年は月初めに、お友達ご夫婦が誕生会をしてくれて、
素敵なプレゼントをいただきました。
プレゼントが見つからない様に隠して持ってきてくれて。
そんなプレゼントをいただいた事がなかった私は、とても嬉しくて。
それだけで十分素敵な誕生日だったのですが、またまた嬉しい事が・・・

20日の夜にsgrさんがパーティを開いてくれる事になり、3人で楽しい時間を過ごしていました。
私達2人にプレゼントをしてくださり感激していたら、ココ父からとsgrさんが小さな箱を取り出してきました。
エッ?という感じです。促されるまま箱を開けたらとても綺麗なリングが入っていました。
これ、どうしたの?いつ買ったの?と聞いたら、今週の初めに私が美容院に行ったのですが、
ココ父が私を美容院に送ったあと、その足でお店に行きsgrさんと選んだそうです。
ただ気にいったのが無く、どうしようかと思案したところ、
とても信頼しているサプライヤーの方が近くにいるかもしれないと電話してくださったら、
川崎にいると判明し2人で向かったそうです。
そこでとてもいいリングを見つけ、トンボ帰りに戻ってきたそうです。
時間がないので大変だったけど楽しかった。と2人に言われ、私は人前で滅多に泣かないのですが、
感激して涙を流してしまいました。
ココ父の無理なお願いに協力してくれたsgrさん、お店の方々。
いろんな人が私のプレゼントの為に考え、行動してくれ、サプライズの為に皆で黙っていくれて、
本当に私は幸せものです。
それから2人の珍道中の話を肴に、泣き笑いながら素晴らしい時間が過ぎていきました。

うちに戻ってからココ父に『お金使わせちゃったね、でもとても嬉しかった!』と言ったら、
『お前が元気になるんだったら金も使うしなんでもするよ。』と返してきました。
『でも、それじゃお父さんばかり大変じゃない?』と質問したら、
『お前が元気になって幸せになる事が俺の幸せだから』と、どっかのCMみたいな事を言いました。

この8年間、私に元気がなく、ココ父にはとても負担と苦労を掛けているのですが、
そんな状況の中でもココ父は私をずっと支えてくれています。
『夫婦なんだから当たり前じゃん』とココ父はいつも言いますが、彼の心労は計り知れません。
早く元気にならなければと焦るのですが、そんな私を見てゆっくり元気になればいいとココ父は言います。
出会いがありココ父と結婚して23年生きてきました。
子供はできませんでしたが、ココ、もあ、さらが我が子になり、
とても豊かで幸福な人生を私達にもたらせてくれました。

∞の幸せをもたらしてくれる、もあとさら。
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素敵な家族に出会えた事が、素敵なお友達や素敵な事や出会いを届けてくれます。
皆さん、ありがとう。
ココ父、ありがとう。

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ココ17歳の誕生日おめでとう[るんるん]




おんぶ [家族]

親父が亡くなって8年、年齢からくる衰えはありましたが、
それなりに元気に過ごしていた、かあちゃん(母)が急に痛みを訴えてきました。
腰と右の肩が痛いらしく、歩くのも困難みたいなんですが、いろいろ触ってみても要領を得ないので、
痴呆が始まったのかと危惧したのですが、とりあえず様子を見る事にしました。

翌日になっても痛みはとれない様子、それよりも精神的に落ちているのが,
まざまざと表情に出ていたので、縁起でもないのですが、とうとう来る時がきたかと思いました。
それにしても痛みがひどいらしいので、病院に連れて行く事に、
ただ、歩けないのでおんぶをして車に乗せました。

車中でかあちゃんが、『小さい頃はよくおんぶしたけど、おんぶされるようになっちゃたんだね。』
とポツリと言いました。親父の時も最後は歩けなくなったので、よくおんぶしたのですが、
その時の記憶がよみがえり、とてもせつない気持ちになり、涙がでそうになりました。

病院でいろいろ検査をした結果、一番恐れていた骨折は見あたらず。ホッとしたのですが、
先生のお話によると圧迫骨折の場合、時間をおいてから再検査をした方がいいらしく、
とりあえず痛み止めを頂いて帰宅しました。
かあちゃんも骨折でなかったのがホッとしたらしく、顔に生気が戻ってきました。

お腹が減ってきたと言うので、おじやでも作ろうかと言ったら、
天丼の残りがあるのでそれが食べたいと言いました。
天丼かよ!!と思いましたが、何はともあれ食べれる事はいい事なので、食事をしてもらいました。

普段、同居しているとはいえ、長時間一緒に過ごす事があまりないので、
寂しいんだろうなと思います。言葉をかけるだけで元気になるのに、
そんな簡単な事も、日常にかまけてさぼっているな~と感じました。
親といられる時間も、そんなに長くは残されていないと思います。
すこしでも安心してもらえるよう。親孝行しないといけないな思う出来事でした。

よいお年を [家族]

2009年も残すところあと2日、あらためて今年を振返ると大きな転機の年でした。
ココの時代にはHPをやっていましたが、家族との別れを契機に、
だんだんと記事が書けなくなり、ココが虹の橋に行ってからは休止状態でした。

そんな中、もあがうちに来てそしてさらも家族になり、
この2人の事を発信して行きたいという気持ちが芽生え、
今年の4月からブログを始めました。

HPも復活と休止を繰り返していたここ数年、
HPの時からのお友達にもボチボチではありますが、
やっと元気にしている姿を見ていただけるようになり、
昔と変わらぬお付き合いをして下さることにとても感謝いたします。
そして故郷へ帰ってきたような、心が温かくなる事に、
HPをやっていて良かったと心の底から思いました。

ココの時代のお散歩友達も代が変わり、もあ・さらを散歩に連れていっても、
知らない方の方が多く、ちょっとした公園デビューみたいな感じでしたが、
挨拶から始まり段々と話をするようになりました。
ぽちぽちと知り合いができてくる中、ブログの話をしていったら見に来て下さったり、
実は私もブログをしているのよとなり、だんだんと交流の場が広がっていきました。

人と接する機会が増えると楽しい時ももちろんありますが、
その中で不愉快な事も傷つく事もあります。
ただ、それを恐れて引きこもっていても発展性はなく、
もあ・さらも不幸にしてしまいます。

『しょせん世の中なんてこんなもんさ』より『どっこい世の中捨てたもんじゃない』の方が、
前向きな人生が歩めるように思えてきました。

このつたないブログを読んで下さったり、書き込みをして下さったりする事が、
とても嬉しいし感謝しています。言葉はもろ刃の剣ですが、
たくさんの方の言葉に勇気づけられ、心の中が暖かくなりました。
この場を借りてお礼の言葉を言いたいと思います。

『どうもありがとうございました』

そして、来年も方向性のバラバラなブログですが良かったら遊びに来てください。

来年が皆様にとって素晴らしい年になりますように。
よいお年をお迎えください。

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ココ父・ココ母・もあ・さら

初日の出 [家族]

激動の2009年も静かに幕を閉じ、希望に満ちた2010年の山田富士の初日の出です。
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毎年見ていますが厳粛な気がします。

厳かな儀式が終わったので、正月気分、全開でいきましょう!!

めでたいと言ったら、松竹梅。

まず、竹~。正月用のアレンジ。綺麗!!
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次に梅~。日本人は梅干でしょ!!
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順番は変わりましたが松~。
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といっても松葉杖!!!!!
昨年の30日に、ココ母の悪行のつけが来た結果、
自滅をし、歩行困難になったのでゲットしたものです。

何れにしても、松竹梅が揃ったので、あけおめ~!!

年の初めからこんな感じですが、今年もよろしかったら遊びに来てください。

最後にうちの太陽のもあとさら。
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本年もよろしくお願い致します。

お帰りなさい [家族]

2年前の6月に亡くなり、献体していた叔父の遺骨を東京医科歯科大学に受け取りに行きました。
会場の講堂に入ると正面に90柱のご遺骨。こういう風景には遭遇した事がないので圧倒されます。
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厳かにご遺骨返還式が始まり、学長及び医科・歯科の学生代表による
献体者、遺族に対する感謝の言葉が述べられ、そして叔父の骨を受け取りました。

わたしが小学生の頃、子供のいなかった叔父が自分の死後、
献体したいから保証人になってくれと父のもとに来ました。
父は反対しましたが、教育に携わる叔父の決意の固さに同意しサインをしました。

それから時が過ぎ父が亡くなり、2年前叔父がすい臓がんの末期だという事で病院に行きました。
叔父は思ったより元気で、昔話をしたり自分の死後は献体して合同で埋葬してもらうので、
その手続きで迷惑を掛けるけれど、よろしくお願いしますと言われました。

わたしは以前から考えていた事、すなわち献体を辞めて、
変な言い方ですが普通の葬式をして、お墓に入りませんかと叔父に話をしました。

若い頃から目が不自由で盲学校の教諭を勤め上げた叔父。
自分自身と生徒さんの目の不自由さを痛感し、
医学の向上の為に献体を決意した事を話してくれました。
話をしていて叔父の崇高な決意に圧倒されました。
わたしは全て責任をもって叔父の思いの手伝いをさせてもらうから、
せめてうちの墓にだけ入ってくれとお願いをしたところ、
叔父は嬉しそうに、よろしくお願いしますと言ってくれ、
ほどなくして亡くなりました。

今、あらためて自分を振返り、人の為、社会の為に何が出来ているんだろうと思います。
まして、自分を献体して医学の進歩を図るなど、自分に出来るのだろうかと考えます。
しかし、献体の歴史があるからこそ現代の医学の発展がある訳で、
献体者一人一人の崇高な遺志に畏敬の念を感じます。

はたして自分はどんな形で社会に貢献できるか、
これからの人生で真剣に考えていきたいと思うばかりです。
今はただ、叔父に遺志は成就されましたよ。
これからゆっくりして下さいと言葉を掛けたいと思います。

音と記憶 [家族]

今日、母が退院しました。両目の白内障の手術&入院だったので期間も5泊6日、
そんなに心配する事では無かったのですが、高齢な上、体重が31㎏しかないので少し心配していました。
もう一つの心配は、祖母が入院し、手術の前日に植物状態になった事が、入院&手術が怖い事として、
母の心に焼き付いているからです。
大事には至りませんでしたが、案の定、最初に右眼の手術をして部屋に戻ってからしばらくして、
いきなり原因不明の高熱を出し、今、自分がどこにいるのか分からなくなり、
若干、錯乱状態になりましたが、適切な処置により、大事には至らずに残りの左眼も手術し、
今日の退院を迎える事が出来ました。
そんな訳で、毎日、毎日、昨日も一日、無事に過ぎて良かったと思う5泊6日の日々でした。

今回、母が入院した病院は地元の大学病院で、9年前、父が入院し亡くなった場所でもあります。
父が亡くなった時、本当なら落ち着いてから、先生や看護士の方達に挨拶に行くべきところ、
亡くなってから5ヶ月も経ってから、挨拶に行きました。
どうして、そんなに時間が掛かったのかと言いますと、私とココ母でずっと看病していましたので、
病棟に行くと、父が亡くなっていく過程を思い出して、心が辛くなりすぎて、
どうしても病棟に行く事が出来なかったんです。
そんな、不義理な夫婦を先生や看護士の方達は、とても、温かく迎えてくれ、
よく頑張りましたねとねぎらいの言葉を掛けて下さいました。
そして、病院に来る事があったら、いつでも病棟に顔を見せに来て下さいと、仰ってくれました。

そういう、いきさつがあるので、正直、今回階は違っても病棟に行くのが、気が重たかったのです。
9年も経っているし、科も違うので大丈夫かなと思っていました。
実際に母の入院の為に病棟に入ると、9年前に感じた胸が締め付けられるような感覚は無く、
時間が解決してくれたんだなと、少し、安堵したのですが、
時間が経つにつれ、9年前の事が蘇ってきました。
なんで、そうなったのかと言いますと、『』なんです。
例えば駐車場のゲートの音、ナースコールの音、心電図の音、とかが前と全く同じで、
父の時の事がフラッシュバックして来て、これはきついかなと思ったんですが、
なんとか、今日の退院まで耐える事が出来ました。

今日はどうしても仕事で行けなかったので、ココ母に任せて仕事に行きました。
東名に乗って3号線上りを走っていながら、ぼんやりと病院の事を考えていたら、
何の前触れもなく涙が溢れてきました。
安堵の涙なのか、辛い思い出の涙なのか分かりませんが、運転がやばい位でした。

自分では、父の事で気持ちが辛くなる事はないと思っていたのですが、音が記憶の扉を開け、
いろんな思いが溢れてくるのを制御できなくなるなんて、思っても見ませんでした。
しかし、父の時に24時間体制で看病してくれたココ母の気持ちを考えると、同じ位辛いのだろうなと思い、
自分がフォローしなくてはと、痛切に感じました。
私が仕事から帰ってきて、ココ母が言った事が、お父さんは、退院のお迎えに行かなくて良かったよ。
精算が終わり、ナースステーションにお世話になった挨拶に行ったら、突然、涙が溢れてきた・・・と。

お互いに、無理をして気持ちを封じ込めていた訳ではありません。
日々、生活をしていく中で風化していった訳ではないと思いますが、
自然に心の引き出しにしまい込んで、鍵を開けなかったのだと思います。
心の鍵も時には、自動ドアの様に無意識のうちにセンサーが感知し、
扉を開けてしまう事があるんですね・・・

母の入院中、出たり入ったりの毎日の中、2日間雨が続き、もあとさらはお散歩にも行けず、
ストレスもあったと思います。
でも、おりこうにお留守番をしてくれました。
もあ、さら、これから桜も咲き誇る素敵な季節、ゆっくりお散歩して、
みんな元気に迎える事が出来た春に感謝して、お散歩を楽しもうね!
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パブロフの夫婦 [家族]

最近、もあ・さらを見ていて条件反射というか、パブロフの犬というのは有り得るのだなと感じます。
例えば、もあに向かって可愛い~~と話しかけると、カメラ目線でそうですよといったような顔をします。
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もう一回言うと当然ですねといったような表情。
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3回言うとしつこいですねといったような顔をします。
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さらに関しても同様な事を行うと、一回目はそうでちゅねといったような顔。
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もう一回言うと当然でちゅねといったような表情。
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3回言うとしつこいちゅねといったような顔をします。
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あらためて、もあ・さらを通して自己を振返ってみました。

わたくしは小田和正のある歌を聴いたり、歌ったりすると条件反射の様に必ず泣くので、
世間からパブロフのココ父と言われております。

先日、ココ母が珍しくカラオケに行きたいというので、近所のお店に行きました。

先発として、わたくし、YELL/いきものがかりを歌いまして、さあ、ココ母の番と画面を見ましたら、
やさしい気持ち/Superflyを選んでおりました。
この曲歌うの初めてじゃんと言いましたら、歌えるかな~と言いつつ、マイクを握りました。

確か、この曲はめざましTVで流れていたなと思い聴いておりましたら、
いきなり、ココ母が声を詰まらせ、泣くではありませんか、人前で滅多に泣かないココ母なので、
ビックリしまして、どうしたの?と聞くと自分でも訳が分からないと言います。
あらららら~と思いましたが、なんとか歌いきりました。

曲が終わってから、改めて思い入れあったっけ?と聞くと、
なんもないと答えるので不思議な事もあるもんだと、話しておりました。

ここで気を取り直して歌い始めます。
青色はわたくし、赤色はココ母が歌った曲で、黒字は2人で歌いました。

Story/AI→サビでグッとくるがこらえて歌いきる。

キセキ/GReeeeN→2人で歌う、ラップも担当。PVバージョンだったので、PV見てまた涙。

悲しい色やね/上田正樹→自分の世界に浸って歌う。

遠くで汽笛を聞きながら/アリス→自称18番の曲なので自信満々で歌う。

ハナミズキ/一青窈→歌詞に思いをはせ歌う。

帰りたくなったよ/いきものがかり→感情を込めて歌う。

長い夜/松山千春→限りなく高音で歌う。

言葉にできない/小田和正→嗚咽、無理、中断。
たしかなこと/小田和正→上記同様。

青春の影/チューリップ→少し気を取り直す。

後半は洋楽にしてみました。

明日に架ける橋/Simon and Garfunkel→ハモれないけど二人で歌う。

Comfortably Numb/Pink Floyd→意外に歌えた。

Highway Star/DEEP PURPL→一気にノリノリ。

〆の3曲は2人で歌います。

It's My Life/BON JOVI→やっぱ、いいね~。

Livin' On A Prayer/BON JOVI→これは盛り上がる!

We Are The World/U.S.A for Africa→人類愛を感じ歌い上げる。。

・・・カラオケ終了です。

この間約2時間、飲み物とかお店の方が持ってくるので、
泣きながら歌っている中高年夫婦を目撃されてしまいました。

いつもはわたし1人で泣いていますのが、ココ母が珍しく泣くので、ある意味、同士といった共鳴感を持ち、
なんか嬉しかったです。これでパブロフってるのはわたくしだけではなくなったので、
2人合わせてパブロフの夫婦と胸を張りながら生きていきます。

カラオケから帰って来ましたら、もあ・さらがこんな感じで出迎えてくれました。
可愛いわ~~~!!!
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一日遅れの母の日 [家族]

うちは自営業なので、ギリシャ危機みたいなもんが不定期に襲ってきます。
まさに、今月は不景気のドン底で明日をも見えない状況なんです。
従って、母の日なんぞもココ母に日頃の感謝を込めて、
贈り物をしようと思ったのですが、現実的に無理なので諦めました。

ココ母も状況は分かっているので、不満も言わず質素な母の日を過ごしていたところ、
新聞をとりにポストをあけましたら、地元のデパートからメール便が届いていました。
なんだろうと開封してみると、
10周年母の日フェア『お食事券プレゼントしよう!』ご当選おめでとうございます。
と書かれた手紙と3000円分のお食事券が入っていたんです。
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応募した覚えが無いな~と記憶を辿っていましたら、
先日E店で応募しませんかと言われ、どうせ、当たらないからいいですと断ったら、
それではこちらで応募してよろしいですかと言われ、そんじゃお願いしますとのいきさつを思い出しました。

このデパートでは先般、119回もハズレを出した記憶が生々しいので、
何をやっても無理!との認識が強くありましたが、今回図らずも当選したので、
意外にツキは残っていたじゃんと、ちょっとしたサプライズに心が嬉しくなりました。

一日遅れの母の日になりましたが、ココ母に食事のプレゼントができる事になり、
ギリシャ危機も一日延期になりました。
とりあえず、明日の事は考えず今日のディナーを楽しんできま~す。

ああ~たいくつでちゅ。
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ん!おとうさんとおかあさんの動きがへんでちゅ!
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もあちゃん、なんか美味しい匂いがするでちゅよ。
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ディナーの香りがします。
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ぼくたちのディナーはないんですか?
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2人はいつものドライフーズで我慢してね!

春夏秋冬 [家族]

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数年ぶりにココ母が花を植えました。
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以前は、庭中お花だらけだったのですが・・・昔の写真です。
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ココ母の調子の悪い状態が続いたので、庭はジャングルのようになり、
ホント久し振りに華やかになりました。
彼女の病気は良くなってきたなと思うとまた元に戻ったりしての、
波が激しいので、庭の手入れ等継続が必要な類は厳しいものがあります。

従って、調子がいい時に脱うつ宣言を何度も聞きましたが、
聞いている私としては、いやいや、まだわからんと慎重でした。

なんでこんなに慎重かと説明いたしますと、
彼女の調子が悪い時に聞いた事があるのですが、
春夏秋冬、調子が上向きな季節はあるのと尋ねましたら、

・春は木の芽時で、華やかな季節になるけど、その華やかさについていけず、調子が悪い。
・春が終わると梅雨だけど、雨降りばかりで気も沈み、調子が悪い。
・夏は暑いので調子が悪い。
・秋は物悲しいので調子が悪い。
・冬は木枯らしが吹くので調子が悪い。

結局、全部じゃん!!となるのですが、現実にこれが彼女の本音でしょう。

今回、花を植えるという行為は、他人から見れば小さい事柄かもしれませんが、
確実に彼女の心の中に変化の兆しが現れてきたような気がします。

それに、私も驚いたのですが、彼女が来年の湘南国際マラソンにエントリーしました。
体育の授業以外、運動経験がなく、授業が終わると真っ直ぐ帰宅し、
茶をすすりながら再放送の水戸黄門を観ていたような彼女が、
今まで走ることを誘っても、拒絶の二文字しかなかったのに、
10kmも走る気になったのが信じられません。
どうして、走る気になったのか聞いてみましたら、

1.完走者にくれるメダルがほしい。
2.人生MAXに肥えてしまったので、痩せたい。
3.うつにほとほと疲れたので、もういいかげん止めたい。
との返事でした。

1と2だけだったら、多分走らなかったと思います。
3に関しては、悪い方向を向いていれば最悪の結果になります。

しかし、今回彼女の目に力があるような気がするんですよね。
レースは来年の一月なので、まだまだどうなるか分かりませんが、
無理なく自然にその日が迎えられ走りきった時、彼女の心の中に何かが発生してくるような気がします。
あと8ヶ月、焦らず、無理をせず、マイペースで歩んでいってほしいと思います。

継続こそ力なり [家族]

弱いくせにお酒が大好きなココ父。
この数年、現場が終わると昼でも躊躇なくお酒を飲むので、
いつも、私に文句を言われていました。
ところが『継続こそ力なり』ではありませんが、
ず~~っと文句を言い続けた成果があらわれたんです。
なんと、ココ父が昼酒をやめました!!
しかも、夜の7時まで一切お酒を口にしません。
人様からすれば当たり前じゃんと言われると思いますが、
今までの生活を考えるとありえな~い位の激変ぶりです。
しかも、それは休みの日でも同じなので、これは尋常ではないと思い、
体調でも悪いの?と聞きましても、まったく悪くないとの答えしか返ってきません。
おかしい?と思いつつも、歓迎すべき事なので静観していました。
しかし、数年間も昼酒を飲んでいたので、そう簡単にいく訳はないと思い観察していると、

・現場が早く終わり、散歩まで時間がある場合→ひたすら寝る。
 これは、起きていると飲みたくなるので寝るのだと推察されます。

・起きてから7時まで時間がある場合→散歩にやたら長い時間をかける。
 さすがに歩きながら飲めないのだと推察されます。

・散歩が終わっても7時まで時間がある場合→地元のデパートに行く。
 車で行くので必然的に飲めないのだと推察されます。

まあ、どんな形をとるにしても、昼酒をやめるココ父なりの努力なので歓迎すべき事です。

ところが、一つ疑念がわいてきました。
3番目の地元のデパートに行くというところで、ココ父は買いもしないのにB店とE店に必ず立ち寄ります。
両店とも可愛い、綺麗な女性がわんさかおりまして、
ココ父はセクハラめいた話をして嬉々としてヘラヘラしています。
そこで、この親父は無類の女好きだという事を思い出しました。

あんた、おねえちゃん達と話をしたいから、昼酒を我慢しているの?と聞きますと、
そんな事は御座いませんと答えますが、あきらかに動揺したので、
お店の方達はボランティアで、あんたみたいな親父と話をして下さるのだから、
迷惑になるのでやめなさいと申し伝えましたら、じゃあ、昼酒を復活させると開き直ります。
このクソエロ親父と思い、グーで殴りたくなりましたがこらえました。

・・・今日から、散歩が終わったら7時まで監禁しようと思います。

おとうさんが逃げ出さないようにぼくが監視します。
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あっ、逃げ出した!
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あたちがつかまえまちゅ。
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ここで、さらの大好きなスリッパを投げるココ父。
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まんまとワナにはまるさら。
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ココ父は逃げ出しデパートに行きました。
帰ってきても家には入れません。野宿でもなんでもしろ!!

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