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遠くの親戚より近くの他人 [家族]

今朝、ゴミ出しをしに行きましたら、ご近所のNさんにお会いして、
私の母もしくはココ母の父のどちらかが、具合でも悪いのでしょうかと尋ねられました。
幸い2人共、ピンシャンしているのでその様に答えましたら、
ご無事なら良かったとホッとされておられましたので、えっ、何でですか?とお聞きしますと、
最近わが家に電話をしていたのだけれど、連絡がとれなかったので、
親御さんの具合でも悪くて、入院でもされて看病しに行っているのかと思っていたそうです。
いや~、たまたま電話にでるタイミングが悪くて、ご心配をおかけしてすいませんと言いましたら、
お元気なら何よりです。とおっしゃって下さいました。

この町に引っ越してきて早18年。
家を建てた頃はご近所もまばらでしたが、今ではぎっしり家だらけで友達もでき、
誰かのお宅にお邪魔しては井戸端会議をしてまいりました。
年齢層もバラバラですが、お互い力になれる事はなんでもやってきましたし、
その度にありがたいなと感じています。
よく、話をしていて最後の方に『やはり、遠くの親戚より近くの他人よね~』
といった結びになるのですが、結構、当たってるじゃんと思います。

私の父、ココ母の母のお通夜の時も、わんこ友達とご近所の友達が残って下さり、
みんなで私達を励まし慰めてくれました。
そして出棺の際には、ご近所の方がご自宅の玄関先に出てこられ、お見送りをして下さったんです。
お礼を口にして、車の中から何度も頭を下げていたのですが、そのお気持ちに涙が止まりませんでした。

昨今、人情が薄れてきたと言われていますが、幸せな事に私達の周囲は人情に溢れています。
もあの誕生日もそうですが、みなさんに祝福して頂けて、とてもありがたく感じます。
いつも、して頂くばかりではなく、ご恩返しもしなくてはと思う2人ですが、
中々、未熟者なのでうまくご恩返しができません。
いつか、みなさまにご恩返しが出来る様、日々、精進を続けようと決意する今日でした。

話の内容とは関係ありませんが、
自分が主役のパーティーで疲れたもあ。
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脇役だったので、体力の余っているさら。
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とっても可愛い2人で~す(^_^)v

経験と答え [家族]

最近、ココ母とずっと話をしていて『経験と答え』という言葉がよく出てきます。
私達夫婦も長い間、生きてきましたのでそれなりの経験をしてきました。
その時々は大変でしたが、今になってみれば良かったと思いますし、
それが、現在の私達の血となり肉となってきたのだと思っています。

ところが、私達の経験した事がない事で、悩み苦しんでいる友達がいます。
私達夫婦の大事な友達なので、力になりたいし少しでも気持ちが楽になるようにできないものかと、
考えているのですが、残念ながらその悩みについて私達は経験した事がないので、
これだという答えが出せないはがゆさを感じています。
何でもそうでしょうけど、最終的には自分自身が決める事ですから、
その過程の中で少しでもいい選択が出来るよう力になれればと思っているのですが、
大変難しいです・・・

そんな会話をずっとしていて、一つ気づいた事があります。
人の悩みって100人いれば100の悩みがあると思いますし、
それを全て経験している人間なんていないんじゃないかなって事です。
となると全ての経験があって答えを導くという事は稀有なことだし、
それにとらわれていたら、かえって駄目なんじゃないかと思いました。

私自身、42歳の時、自分ではどうしようもない悩みを抱え、2年間苦しみました。
永遠に続くのではないかという気持ちと、答えのでない焦燥感で地べたを這いずり回りました。
そんなある日、庭でボ~っと空を見ていたら、天と私と地面を貫く1本の光の道が開けたような瞬間があり、
今まで悩んでいたのが嘘のように思え、自分自身の心がすっきりし軽くなる経験をしました。

それから私は元気になれたのですが、入れ替わりにココ母がうつになってしまいました。
2年間私を支え続けてきた気持ちが折れてしまい、かなりひどい状態の時もあり、
いい時と悪い時の繰り返しで、こんな状態が永遠に続くのではないかと、
彼女自身、閉塞した疲労感を感じていたのですが、この1,2年でかなり良くなってきています。
うつの人に頑張りという言葉は禁句ですが、ここまで良くなってきた一つの要因は、
まぎれもなく彼女の頑張りだと思います。
そしてもう一つは病気を理解して、温かく接して下さった友達のお蔭です。

今、彼女は光を見つけ前を向いて歩く準備が出来てきました。
そしてこの8年間を経験してきて感じた事は『明けない夜はない』という事です。
悩んでいる渦中の人達に言わせれば、ありきたりの事を言ってんじゃねーよと思うかもしれません。
現実、私達もそう思った時期もあります。
でも、少ない人生経験の中でそう思ったのは紛れもなく事実です。

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私達はあなたの家族でもなんでもありません。

家族の方があなたを思う気持ちには及ばないかもしれません。

しかし、他人でもそう思える事があるって事を理解してほしいのです。

今、私達が出来る事は一緒に悩み苦しみ考える事。

あなたが元気になり幸せになる事を祈る事。

これが、私達の経験からでた答えです。

あなたはけっして一人ではありませんし、素晴らしい仲間も大切な家族もいます。

だから、我慢しないで下さい。人に甘えるべき時は甘えたっていいんですよ。

いつも、家族とみんなの事を心配しているあなたが心配なんです。

みんながあなたの笑顔と言葉に救われてきました。それは私達夫婦も同じです。

だから、ほんの少し恩返しをさせて下さいね。


・・・ココ父・ココ母・・・

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命の電話 [家族]

今日7月6日はココ母のお母さんの5回目の命日です。
お墓参りに行って来ました。
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5年前急に倒れてICUに入って1ヶ月、私達家族の祈りも空しく、
朝4時5分に静かに息を引き取りました。苦しくも、お母さんの誕生日の翌日でした。
葬儀は私達の家でする事になったのですが、
病院から直接、家に来るのは抵抗がありました。
何故かと言うと、お母さんは川崎に住んでいましたので、
最後に住んでいた家を見て貰いたいと言う思いがあり、
葬儀社の方にお願いして、病院からお母さんの家、いつも買い物に行っていたデパート、
思い出の場所を巡りながら、無言のお母さんに『ここにみんなでよく来たよね』
『このお店の料理、美味しかったね』と話しかけながら私達の自宅に向かいました。

家族葬にもかかわらず。多くの友達が来て下さって、私達はとても救われました。
皆さんのおかげで、無事に葬儀も終わったのですが、一つだけ問題が残りました。
それは、お父さんの嘆き悲しみがあまりにも深かった事です。
ココ母に言わせると、こんなにもお母さんの事を愛していたんだと、逆にビックリしたそうです。
嘆き悲しみは1年に渡り続きました。その間、離れて暮らす私達は毎日お父さんを励ましに行き、
夜は必ずココ母が電話をしていました。何度も一緒に暮らしませんかとお願いしたんですが、
お母さんとの思い出の地にいたいと意思が固く断られました。

そんな日々を過ごしながら5年経ち、お父さんにも笑顔が戻って、今元気に暮らしています。
その5年間、ココ母が一日も欠かさず続けてきたことがあります。

ココ母は一人っ子ですので、いつか片親になり、
一人きりになる日が来ると子供の頃から考えていたそうです。
そして、恐らくその時点で自分は結婚していて、残った親とは離れて暮らしているだろうと・・・
ただ、そうなった時に残った親が、万が一亡くなっても、一日一回連絡をしていれば、
発見が何日も経ってからなんて事にはならないだろうと言っていました。

実際にお父さんが一人きりになり、ココ母が毎日電話をするのをみていて、
生存確認だけでなく、この電話はお父さんにとって『命の電話』なんだなって思いました。
仕事でもしていれば、朝から晩まで誰とも口をきかないなんてないでしょうが、
リタイヤしてマンションにこもっていたら、電話でもない限り人と話す機会なんてありません。
それに毎日お父さんと会っていて思ったのですが、人って誰とも話していないと声が小さくなるんですね。
あの時は夜電話して、翌日の午後会いにいくといったパターンでしたが、
最初は本当に声が小さく、話しているうちに普段の声に戻っていくような感じでした。
落ち込んでいたのも影響したのでしょうが、連絡をマメにしなきゃいかんと痛感しました。

今、お父さんはすっかり元気になり、趣味のカメラを持っていろんなところに出かけています。
そして、そんな今でも毎日ココ母は『命の電話』をかけて、今日何があったのとか薬飲んでねとか、
話をしています。自分に置き換えたら出来るだろうかと自問自答してしまいます。

ココ母は頑なだった私の心を、自分の人生をかけて直してくれました。
そして私が友達と楽しそうに話していると、嬉しそうに見守ってくれています。
ハメを外すと鬼みたいになりますけど(笑)
今の幸福を私は与えてもらっているけれど、私はどれだけの事ができているのか、考えてしまいます。
そんな事を最近話していましたら、万が一言葉を交わせなくて私が先に逝っても、
私はあなたと結婚して幸福だったと思っているから、何も悩まなくて元気に生きていってね。
と言われました。・・・私も同じ事を思っています。

お互い、どちらが先に逝くか分かりませんが残された日々を大事にし、
夫婦である事を後悔しないような人生を、そして、ふたりで穏やかな日々を過ごせたらと思います。

記念撮影 [家族]

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先日、E店で記念撮影を行いました。
メンバーは四姉妹、巨乳、私達夫婦の計7名です。
しかも、色違いの同じポロシャツで統一しました。
何で記念撮影をしたのか?
それは、四女が本日をもって異動になるからです。

四女がこちらのお店に来て早7ヶ月、短い期間でしたが、
持ち前の明るいキャラですぐ人気者です。
親子程、年が離れた彼女ですが、
気配り、配慮のある言葉にいつも心を救って貰っていました。
別れるのは寂しいですが、こればっかりはしょうがありません。
私達に出来るのは、陰ながら応援しエールを送る事だけです。

四女~、今までありがとう。

新天地でも頑張れ!

でも、健康には注意しろよ。

たまには、こっちにも顔だせよな。

そん時は、みんなで飲みにいこうぜ!

四女、ガンバ!!


3人で暮らす [家族]

土曜日の晩、巨乳とココ母、わたしの3人で飲みました。
わたしが落ち込んでいる事は巨乳には言っていませんでしたが、
元々、勘が鋭い彼女ですのでバレバレです。
しかし、男感覚の巨乳ですので、とにかく飲もう!という事で乾杯しました。
いろんな話をしていくうちに、不思議なんですが心が軽くなってきました。
お酒のせいもあるのでしょうが、気持ちが楽になるんです。

なんかいいな、この空間』とわたしが言いましたら、

そうだよね~』と巨乳が答えます。

わたし達3人はお互いに感覚で物を言います。例えば大好き!!とか気にいらね~とか
感じたものをダイレクトに表現しますので、ハタからみると変ですが、
それがこの3人には合っていると思うので、修正しません。
大分酔いも回ってきた頃、おもむろに巨乳がこんな話をしてきました。

あのさ~、ちょっと変かと思うかも知れないけど聞いてくれる~?

変に思わないから言ってみろよ

いろんな条件はあると思うんだけど、『3人で暮らす』っていいと思わない?

そうか、お前もか!いや~俺達もそう思っていたんだよ

まじ~、うれしい~~~

ただ、順番でいったらお前が若いから最後1人になるじゃん

それは、わかんないよ

でも、そうなったらお前が可哀そうで出来ないな~

と言いましたら、

わたしが若いの見つけてくるから、その子とも同居しようよ

そりゃ、名案だ!

と最後の方は?ですが盛り上がりました。
しかし、考えてみれば巨乳には旦那がいるし、現実的には不可能ですが、
他人同士でそう思える人間ってなかなかいないと思います。
それに恋愛感情ではないのですが、毎日会って話をしたい、
それが無理なら電話、メールで連絡したいと思える他人ができると思っていませんでした。
それはココ母と共通の意識です。

他人と付き合うのって難しいじゃないですか、自分はこれぐらいと思っているんだけど、
相手はどうなんだろう?とか考えちゃうし、
誘われるのも迷惑かな?とか考えると声を掛けるのも躊躇するし、疑心暗鬼になります。
こういう考え方をするから、疲れるのでしょうね。

なんか、名案はないですかね?


それは、さておき巨乳さんと暮らすのですか?
そう、なれたらいいけどね。

僕もそうなったら嬉しいです。
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あたちもそうおもいまちゅ。
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じゃあ、いい子でいなきゃね。

は~いは~い

向き合う事 [家族]

年がら年中一緒にいるせいか、私達夫婦は仲がとてもいいと思われています。
何を基準に仲がいいのか分かりませんが、ひとつだけ言えるとしたら、
何があっても向き合い続けていることかなと思います。
よくココ母が言われて違和感がある言葉に、
『ココ父さんは優しいから』と言われると、
半分そうだろうと思い、半分ちょっと待てよと思うそうです。
何故、そう思うのかと言いますと、確かに優しいとは思うし、
そんな変な男は選んでいないという自負があるらしいのですが、
私をここまでにしたのは、彼女自身が私に向き合って、言い続けてきたおかげだという事です。

元々、人間が出来た者同士が結婚すれば、問題がないのでしょうが、
そんな、最初から出来た夫婦は数少ないと思います。
特に私の場合は、ココ母風に言わせると、いいところもあるのだけれど、
どうしようもない方が多い夫だったそうです。
したがって、若い頃は喧嘩が絶えませんでしたし、険悪な空気がいつも流れていました。
それに、私は理屈で彼女を屈服させようとしました。それでも駄目なら大声をだして威嚇しましたし、
彼女がひるまないと、そんなに文句があるんだったら、別れりゃいいじゃんと暴言を吐いていました。
・・・本当に最低な男です。

ただ、彼女の信念は強いもので、悪いものは悪い!これが分からないバカ夫は子供と同じで、
言い聞かせなければ身に付かないし、分かるまで継続するのが妻として家族として当たり前だと思っています。
その結果、嫌~な空気が流れるのは必然です。でも、その空気に耐えられなくて自分が折れたりしたら、
何も生まれないし、夫も成長しないだろうと言います。
今になってみれば、彼女の言ってきた事、やってきた事がよく分かるし、よくやってくれたなと感謝します。

女子の友達と話をしていると、あえてケンカをするのを避けていると感じる時があります。
何もわざわざ、ケンカに持って行くことはないと思うのですが、向き合わなければいけない時でも、
ケンカの果てに破局するのが嫌で自分の言いたい事を我慢する人がいます。
性格とか育ってきた環境でみなさん違うので、決め付けた事は言えないのですが、
突き詰めなければいけない部分をあえて避け、表面上の幸福で満足しようとする事が果たして夫婦なのか?
夫婦とは好きあって結婚して、互いに理解を深め、どちらかが先にこの世を去るときに、
夫婦で良かったと思える関係を年月を重ねながら、作り上げていくものなのではないかと思っています。
努力をしなくてもいい夫婦の方達もいるかもしれませんが、わたくしみたいなダメ夫の場合はココ母が、
辛抱強く努力してくれたから、今の関係があるのだと思っています。

夫婦って、ココ母が言うように、どちらかがいつ先に逝っても幸福だったと言えるのが理想です。
でも、そう思えるのには、ただ暮らしているだけでは有り得なく、時にはケンカをしてでも、
勇気をもって向き合わなければ、そんな関係は築けません。
向き合って壊れる夫婦だったら、所詮、それまでの相手です。
女性は人にもよりますが、男性の威圧的なところが苦手で、そういう状況を避けがちです。
でもココ母は、男性のバカなところ満載の私に、全身全霊をかけて真正面から向き合いました。
彼女だって嫌~な雰囲気は苦手な女子です。そして物事に対し、グレーな部分がない訳ではありません。
違う環境で育ち、価値観が似ているといっても、突き詰めれば微妙なずれがあって当たり前です。
それでも間違ってると思う事は改善し合い、お互いに必要と思われる思いやりを持ち、努力をして、
互いに幸せと思える存在でいたいと言います。

確かに、やろうとしても出来ないと思う気持ちは分かります。
でも、人ってやって出来ない事なんかありません。
なぜ、こんな事が言えるかというと、それは未熟な私達でも出来たからですよ。
てゆうか継続中ですけどね(笑)

向き合う事って、夫婦だけではありませんよね。
仕事、家族、友人。
自分にとって大事な存在だからこそ、必要なことなんです。

・・・・・そして、一番大事なのは自分自身と『向き合う事』なんですね。


ココ母の誕生日(ダイナー編) [家族]

昨日、21日はココ母とココの誕生日です。
ココは生きていれば、18歳でした。でも、私達の心の中では生きていますので、
もあ・さらも含め、みんなでお祝いしました。
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そして夜になり、いつも行くダイナーさんで誕生&結婚記念日(22日)パーティを開きました。
最初にお店のスーさん、けい子さん、みゆきちゃんからお祝いの言葉を頂きました。嬉しいな~。
メンバーは先着順で、わん友の巨乳、セクシーダイナマイトのtmkとmyk、ジム友のtocko、
ゴージャスsgr、わが子みたいなtnkです。

今回は先日のクラブ編みたいなサプライズは何もないので、
ひたすら楽しく飲もう!という感じで、スタートです。
お店のスーさんからシャンパンのプレゼントをして頂きました。スーさんありがとう!!
sgrとtnkは仕事の都合で後程~と連絡をもらっていたので、とりあえず乾杯!!です。
みんなから、花束とプレゼントを頂いてココ母は感激しきりです。
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わたくしは綺麗どころに囲まれて、ハーレムみたいな錯覚すら覚え、
危うくココ母の誕生日という事を忘れそうになりました。
しばらくして、sgrとtnkが到着しましたので改めて乾杯!!をしました。
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その頃にはかなり酔ってきましたが、超楽しいのでお酒が進みます。
ここで、スーさん渾身の作品のケーキ登場で、一気に盛り上がりました。
美味しかった~。
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昨年はsgrと考え抜いてサプライズで石を贈り、成功したのですが、
今回は石を買うなとココ母に言われてましたので、困っていました。
ただ、以前にルースで何個か石を買っていたのがありまして、それを加工するのなら、
問題なかろうと思い、ココ母の目を盗みsgrに協力してもらってネックレスにしました。
それをサプライズで贈りましたら、予想していなかったココ母はびっくりしていましたが、
喜んでくれたので大成功です。
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これで、任務終了と思いガンガンお酒を飲んでいましたら、
sgrとtnkがもう一つプレゼントと言って寄せ書きをくれました。
その寄せ書きはクラブVのメンバーと関係者から、誕生日と結婚記念日をお祝いする言葉が綴られていまして、
1人1人の顔を思い浮かべながら読んでいましたら、ジーンとして感激してしまい涙がこぼれてきました。
わたくしは言葉に弱いところがあると、日々、公言していましたので、そこんところを責められてしまい、
やられてしまいました。でも、とても嬉しかったです。
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楽しい時間はあっというまに過ぎ、パーティもお開きです。
みんなで記念撮影をしました。
みんな、参加してくれてありがとう!
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そして、スーさんを始めお店の皆様、ありがとうございましたm(__)m

ココ母は長い間、笑う事が出来ませんでした。
でも、みんなと話をしながら笑っている顔を見ていて、
本当の笑顔を取り戻してきたなと実感します。

7年間うつ状態のココ母のそばにいて、正直言うと私は疲れていました。
良くなったかと思うとまた戻る、そんな繰り返しの中で、
こういう状態が一生続くのだろかとも思っていましたし、
一番辛いココ母の為に何も出来ない自分が不甲斐なくて情けなくて、
自分自身が嫌になっていたのも事実です。
でも、何とかしたいと思い、この数年、積極的に人と関わろうとしてきました。
はたから見れば、いい年こいた親父が、おねえちゃんに声をかけまくっているとしか見えなかったでしょうが、
自分自身では限界を感じていたのも事実でしたし、なんとか光を見つけたい一心でした事でした。

出会った人、全てではありませんが、ココ母のうつを理解し、励ましてくれ、
力になってくれる人が1人ずつでき、その人達と接するうちにココ母が変化してきました。
以前は人と会うと疲れきっていたのが、今は楽しそうに話をし、
輝くような笑顔を見せるようになってきています。
あらためて、人の力って大きいと思いますし、私達を理解し救ってくれた友達に感謝するばかりです。

推測でものは言えませんが、来年1月にココ母は10kmのレースに出場します。
私は彼女がゴールした時に必ず心の何かが変化すると思っていますし、
そして、それが長いうつの日々から彼女が解放される瞬間になると確信しています。
その日を迎える事ができたら、今回参加してくれた友達、そうでない友達も一緒に、
ココ母をねぎらいたいと思っています。

事前に素敵なプレゼントを届けにきてくれたウッシーとうしみわちゃん、
ありがとう!今度飲もうね♪

最後に一番メールをくれたパニ子、ありがとう!
いつか、会える日を楽しみにしているね♪

この字が読めますか? [家族]

先日、母が内視鏡検査を受けるので、病院へ連れて行きました。
受付で順番待ちをしていたのですが、少し待たされていた時、
ココ母が、母に、「この字が読めますか?」と、小雑誌を見せて聞いていました。

去年、母が白内障の手術をうけ、今まで使っていたメガネの度が合わなくなり、
新しいメガネに変えたのですが、遠近両用にしたのにも関わらず、
近くの字が読めないと言いますので、眼科とメガネ屋さんに再度調べてもらったのですが、
母の視力とメガネは合っていますと言われました。

結局、メガネの老眼のレンズ部分に、
うまく焦点を合わせられないのではないか、との結論になりました。
今まで使用していたメガネも遠近両用で、そちらではちゃんと焦点を合わせられたのに、
何で?となりましたが、母には、新しいメガネに慣れてもらうしかありません。

私とココ母で、色々説明して、ああだこうだしたのですが、
母は見えない、見えないの一点張りなんです。
今まで出来た事が出来ないので、私は痴ほうを疑ったのですが、
ココ母は、いや違うと言い、辛抱強く母に教えていました。

私は結局、業を煮やし、新しく老眼鏡を母に作ってしまったので、
母は近くを見る時はそれを使用するようになってしまいました。
それでも、ココ母は事ある度にこれ見えますか?と、根気よく聞いていたんです。

病院の待合で、母にこの字が読めますか?と、又聞いていたので、
どうせ、無理じゃん!と思っていたら、
母が○○○って字だよね?と、ココ母に自信なさげに尋ねました。
お母さんすごいじゃないですか!合ってますよ!!と、ココ母が興奮気味に言いましたら、
この字は○○でいいのかい?と、母は次々に読んでいきます。
お母さん良かったですね♪そうやって読めばいいんですよと、
ココ母は嬉しそうに言っていました。

実の息子が諦めてしまっていたのに、嫁さんのココ母が諦めないで、
母の為に根気よくしてくれた行為に対し、正直、私は自分が情けなくなりました。
私は人様に対してはそれなりに行動できるのですが、
自分の母にはあまり出来ません。
別に母を憎んでいるとか照れてるとかないのですが、
どうしても、うまく出来ないんです。

それなのにココ母は、私が本来やらなければいけない事をやってくれています。
親子って難しい。では済まされないんですよね・・・

母も、もう高齢です。
いつ何があってもおかしくありません。
出来れば、母には寂しくなく、穏やかな気持ちを持ったまま、
天寿を全うしてもらいたいと思っています。

これから自分が、何を考え、何をすべきか、
ココ母に教えてもらったような気がします。

そしていつか [家族]

震災があってから、もあの行動に変化が生じてきました。
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元々、性格が優しい子なので、さらのわがままや自己主張にもジッと耐え、
自分が甘えたくても、ひたすら我慢するような子なんですが、
震災後は怖いとか寂しいとかではなく、自然に自分の気持ちを表現するようになってきたんです。
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私達の家族になってから、時折、そういった表現をする事はありましたが、
継続してそうする事はなく、何故、もあに変化が生じたか原因は分かりませんが、
親としては、やっと、感情表現をしてくれるようになったとホッとしています。
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今日、5月26日はもあの4歳の誕生日です。
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ココは重い病気と闘い続けた生涯でしたが、とても感情表現をする子でした。
そういった意味では、さらも性格がココに似ています。

もあは、大きな病気もせず私達に心配をかけない子ですが、
あまりにも我慢する性格なので、私達の処し方がそうさせているのではないかと、
とても、悩んでいました。

以前にもお話しましたが、もあはペットショップで売れ残っていた子です。
そして、ココが亡くなって、すぐに私達の家族になりました。
もあの前では、嘆きや悲しみを見せないようにしていましたが、
やはり感じていたのだと思います。
ペットショップでは、活発で明るい子だったそうですが、
私達の前では、遠慮がちな静かな子でした。

もあ・さら達に限らず、子供は親を選べません。
まして、もあみたいに私達の悲しみを気遣って、自分の気持ちを抑えさせるなんて、
親としては、失格です。

本当の親と離れて、ペットショップで新しい家族が来るのを待ち、
やっと、新しい家に行ったら、悲しみで沈んだ家庭だった。
自分がもあの立場だったら、戸惑うと思います。

そんなもあが4年間かかりましたが、やっと、甘えてくれるようになりました。
わんこの生涯で4年というのは、とても長い歳月です。
今更、取返しがつく事ではありませんが、少しでもその歳月を取り戻せるようにしていこうと思っています。
そしていつか」、もあが虹の橋に旅立つ時に、
私達の子で良かったと思えるような家族でいたいと思います。
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もあ、4歳の誕生日おめでとう。

今まで、ごめんね。

もう、私達は大丈夫だよ。

これから、いっぱい、いっぱい甘えていいんだよ。

もあのおうちは、ずっと、ここなんだからね。

おとうさん、おかあさんより。
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6個の餃子 [家族]

夏期節電対策のあおりを受け、今年の夏は土日が休日になりました。
仕事の性格上、平日休みが多いのですが、夏に土日を休むのは20年以上なく、
さあ、どうしたもんかと思案した結果、家族サービスでもするかとココ母の実家に行きました。

といっても、何をするでもなく、昼飯でもいっちゃうみたいな感じでショッピングセンターに行きました。
私は何が世の中で嫌いかと申しますと、人ごみが大嫌いです。
しかし、休日のショッピングセンターは家族連れをメインに人がゴッタ返していました。
うんざりしながら、焼き肉でも食べようかとお店に入りましたが、ほとんど満員です。
しかも、嬌声を上げそうな小さな子供連れの家族がわんさかいましたので、
キレそうだなと思いつつ、料理を注文しました。

義母が亡くなってから6年、義父は一人暮らしをしています。
いつもは車で行くのですが、今回はお酒が飲めるように電車にしました。
焼き肉といったらビールですので、昼から3人で乾杯です。
義父と昼からお酒なんて、正月以外にはないので、ガンガン飲もうと思ったのですが、
私以外は、食べながら飲むタイプなのであまり飲みません。
しかたないので、一人で飲んでいましたら、
ココ母が、小さい子ってこういうところ嬉しいんだろうねと言いました。
彼女の視線の向こうには、3、4歳位の女の子がニコニコしながら、焼き肉をほうばっています。

私が小さい頃は、行儀よく出来ないだろうと飲食店には連れて行って貰えませんでした。
その事の是非は別にして、確かに女の子はとても嬉しそうでした。
人の思い出って様々なのでしょうが、私と家族の思い出で出てくるのは必ずと言っていい程、食べ物です。

私が小学生の頃、年に一回家族でハイキングに行っていました。
以前にも話しましたが、父は独裁者だったので楽しいハイキングといっても、
切符の買い方が遅いとかいって、母に怒鳴ったりしていましたので、緊張の方が強かったのですが、
ハイキングが終わって家に帰る途中に中華屋さんに寄るんです。
4人家族で4杯のラーメンと「6個の餃子」、私と姉が2個づつ、残りを父母で分けて食べました。
その時は、餃子を2個食べられてラッキーとしか考えませんでしたが、
親として貧乏ながらも子供に食べさせたいと思ったんでしょうね。
今思えばみすぼらしいものですが、私にとって大切な思い出になっています。

焼き肉を嬉しそうに食べている女の子も、大人になってから家族みんなで焼き肉を食べたねなんて思い出になるのかなって、思ってしまいました。

義父も元気ですが高齢です。
親にとっては、私達子供の成長が何より嬉しい記憶なのでしょうが、
我を振り返ってみて、自分自身が親に対して何が出来ているのか、自問自答してしまいます。
日々の生活に追われて、粗末にしているのではないか?忙しいのを言い訳にしているのではないか?
いろんな事を考えてしまいます。

余程の事がない限り、親は私達より先に逝きます。
残された時間がどれだけあるか分かりませんが、いい思い出を残してあげたい。
心穏やかな生活を過ごさせてあげたい。安心させてあげたい。
思うのは簡単ですが、行うのは難しいもんです。
人の幸福って、何をもって幸福なのかよく分かりませんが、
何の変哲もない普通の生活が幸福なのかなって、今強く感じています。

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