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胸元から異臭のする女 [ココ父]

最近、ココ母が普通の服を着だしたのはいいのですが、
新たな問題が発生致しました。

ショップで買った服を、家で試着していたココ母が「くっさっい!」と突然叫びました。
何が臭いんだと尋ねましたら、ちょっと嗅いでみなと胸元を指さします。
恐る恐る嗅いでみましたら、何と言うか古くなったタオルの臭いがしましたので、
「加齢臭か?」と言いましたら、「バカッ!ブラだよ」と怒られました。

なんかくっさっいです。
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そんなに古いブラジャーなのか?と尋ねましたら、1年前に買ったもんだと言います。
同時期に購入したブラジャーを点検しましたら、やはり臭います。

なんか臭いまちゅ
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こうなった原因は何だろうと推察したところ、
ジムで運動する時に着用していたからでは?となりました。
ただ、不確かなのでWのmkiちゃんに聞きに行きましたら、多分、そうだと思いますとの事です。

確かに、洗濯しても臭いが取れないTシャツを廃棄処分にする事がありますので、
それと同じ事なんでしょうが、問題は価格です。

元々、思っていたのですが女性の下着は高い!!
とは言っても、「胸元から異臭のする女」とは歩きたくありません。

気絶しそうです。
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おきあがれまちぇん。
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泣く泣く、スポーツブラと普通のブラを購入致しました。
でも、ブラ1個とブラウス1枚が同じ位の価格というのが、何とも違和感があります。

運動をしなければ、もっと長持ちするのでしょうが、陸上部副代表としてはそうもいきません。
今現在、購入したものも含め、臭くないブラが4個です。
とてもじゃありませんが、それでは足りないので、買い足しをする事になるでしょう。

運動とおしゃれというのはお金がかかるものですね(^_^;)

普通の服 [ココ父]

わたくし達はいつもスポーツウェアを着ています。
家の中も散歩も買い物もクラブも、スポーツウェアで過ごしています。
機能的で低価格というのが、着用している理由なのですが、
最近、気分を変えようと、「普通の服」を着ようじゃないかといった話になりました。
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今でこそ、こんなわたくし達ですが、若い頃は少しはオシャレをした時期があったんです。
特にわたくしは、今でも何を着てもオシャレに見えるのですが、
ココ母は残念な体型になって以来、普通の服を買いませんでした。
理由としては、痩せてから買うといったものですが、いつまでもそれではらちが明きません。
意を決してブランドショップに行ったところ、デザインで残念な体型をカバーできるものもあるんですね。
久しぶりにココ母に普通の服を着せると、シャキッ!!とした感じになり、
表情も明るくなったような気がしました。
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女子同士というのは目ざといもんです。
それに以前も書きましたが、かわいい~~とか言ってホメあいます。
ご多分にもれず。ココ母が普通の服を着てみんなに会いましたら、
ステキ~、かわいい~と称賛の嵐です。ホメられて気分が悪い人はいません。
予想通りというか、また何着か買いたいというので、3日続けて同じショップに行きました。
わたくしとしては経済的に痛いのですが、ココ母が明るくなるのでしたら止むを得ませんし、
この時期、経済の活性化に少しでもお役に立てればという気持ちで、購入いたしました。
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それに、ここだけの話ですが、ショップに素敵なおねえちゃんがいまして、
ココ母が試着している間、わたくしはヘラヘラ話をしています。
今のところ、面白いおじさんという印象をキープしておりますので、
その内、メルアドをゲットしたいと思います。
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どんな場所でも、明るくしていると楽しいですね。

静かなお花見 [ココ父]

昨日、近くの公園でわんこ友達とお花見をしてきました。
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例年、桜祭りといった催しが開かれているのですが、今年は中止。
果たして、花見をする人達がいるのかと思いましたが、沢山の人達がいました。
ただ、例年と違うのはバカ騒ぎをしている人は皆無で、
静かなお花見」をしている人達ばかりでした。

今日で震災から一ヶ月です。
世の中全体が、心が重く沈みがちな日々を過ごしているような気がします。
被災された方々の事を思えば、我々が元気に普通の生活をし、
出来る事をするべきだと思い、顔を上げて生活をしているのですが、
心が下を向いているのだと思います。

お花見をしていて思ったのですが、見上げるという事の大事さに気がつきました。
座って桜を見上げる。そしてその上の空を見上げる。
とてもシンプルな行為ですが、見上げた先に希望というものが、あるような気がしました。
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この表現は適切ではないかもしれませんが、
例年に比べ、今年のお花見が一番だったと思います。
浮かれる訳ではなく、家族、親しい人達と静かにお花見をする。
子供が元気に笑い、遊ぶ。そして、わんこ達。
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こんな、当たり前の事が、どんなに貴重な事なのか、大切な事なのか、
あらためて、胸に刻み込まれたような気がします。
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顔も心も、上を向いていきましょうね。
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女子会 [ココ父]

先日ジム友達と飲んでいた時、5日は出張で帰りが遅いからジムに行けないと言いましたら、
それじゃ、たまには「女子会」をやろうとtockoとmymさんが企画提案してきたので、
ココ母を宜しくお願い致しますと頭を下げときました。
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出張は宇都宮だったのですが、思いの他仕事が早く終わり、道路も空いていまして、
7時には家に着いちゃいました。
とりあえず、まだ練習してるだろうと思いましたが、
帰ったよメールを入れたところ、今、飲んでるとココ母から電話があり、
飲む時間がいやに早いなとは思ったのですが、
楽しんでこいよ~、みんなに宜しくと伝えましたら、
あんた、今から来なさいよと強引なお誘いを受けました。
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しょうがないので、お店に行き合流したのですが、
tockoに今日何キロ走った?と尋ねましたら、曖昧な返事しか返ってきません。
おかしいなとココ母に聞いたら、みんな病み上がりだし、練習しないでお風呂に入って、
飲みに直行したと言いやがります。
それに加えて、ココ父に練習しなかったと言ったら怒られるから、
みんなで口裏を合わせとおこうと予行演習までしたと、ぬけぬけとおっしゃりましたので、
こいつら、今度しごいてやると心に固く誓いました。
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終わった事はしょうがないので、普通に飲んでいましたら、
女子同士がお互いを褒めまくり始めました。
例えば、tockoちゃんは可愛いから、男はほっておかないだろうとか、
mymさんは超美人すぎて男がビビルのではないかとか、
ココ母は50才でこんなに綺麗なんだから、信じられな~いとか、
まあ、それは事実なのでそうは思いましたが、そんな話を聞いている内に孤立感を感じました。
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女子同士、褒めあうのはいいとして、わたくしも同席しているのだから、
少しは褒めてもいいんじゃないかという点です。
確かにわたくしの容姿で、褒めるところがないのは分かります。
しかし、性格が面倒くさいところはありますが、
けっこう、いいところあるじゃんと自負しているので、
その点をクローズアップしてくれてもいいのになと言いましたら、
ココ父さんは褒められて伸びるタイプなんだ~とmymさんが言います。

いや、そうではないけれど自分もけっこう人の為に頑張っているし、
容姿は無理だけれどもその点を考慮して頂けたらと、へりくだりましたら、
そうよねココ父さん優しいもんねの一言で終わりました。
tockoに何かないのかよと尋ねましたら、ウ~ンと唸ったきり黙ってしまいました。

わたくしはtockoの事を妹か娘みたいに可愛く思っています。
いずれお嫁に行く時の事を考えただけで、良かったな~と思い、
涙が溢れてくる位大切な存在です。
・・・しかし、この態度を見て考えを改めようと思いました。

確かにこの3人は美人です。
ジムで一緒にいると、何でこのさえないおっさんと美人が3人いるんだと、
刺すような視線を感じますし、飲んでいても店員さんから、不思議そうな顔をされます。
でもね、不細工なわたくしでも自尊心というものはありますし、誇りはもっています。
大体、美形同士で褒めあっていたら、わたくしのいる場所がありません。

何と言いますか、行き場のない怒りとでも申しましょうか、やってられません。
腹が立つので、こうなったら、久しぶりにグレてみようかと思いまして、
とりあえず、コンビニの前でウンコ座りをして発泡酒を飲んでいましたら、
通り過ぎる人々から、お気の毒にといった表情をされましたので、
つい、「同情するなら金をくれ!」と叫びたくなりました。
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ア~ア~、やってらんね~・・・・
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頑張れ!tnk [ココ父]

今日、tnkがクラブVを旅立ちます。

彼女がこっちに来る前、お店は少し停滞ムードで、ベテラン勢が頑張っていましたが、
そのムードを払しょくするには、新しい血が必要でした。
そこで、他店で働いていたtnkに、期待を込めて白羽の矢が立ったのですが、
彼女は様々なプレッシャーをはねのけ、お店に新しい息吹を注ぐ事に成功したんです。
若くて明るいだけでは、ここまでうまくいかなかったと思います。
見た目の明るさだけではなく、物事を真剣に考え向き合う性格が、
お客さんの信用、共感を得たのは間違いありません。

私につらい事があった時、彼女とサシのみをした事があります。
彼女は私の悩みに対し、真剣に考え、言葉を選びながらも、意見を言ってくれました。
その言葉の一つ一つが、私の心に入り、落ち込んでいた自分を救ってくれましたし、
何より、一生懸命、向き合ってくれた事に対し、とても嬉しかった思いがありました。

tnkと私は年が親子ほど離れていますので、話をするのも神経を使ったと思います。
それに、どこまで冗談なのか本気なのか理解するのが難しかったと思いますし、
私の言葉にグサッと来た事もあったと思います。
でも、彼女は常に笑顔を絶やさず接してくれました。
それが、くたびれた中高年親父にとって、どれだけありがたかった事か、
今、あらためて感謝します。

私事で恐縮ですが、私は30才の時に独立しました。
実は独立するのは夢ではなく、自分の納得する仕事をしたいが為の選択でした。
そんな、生意気な小僧に世間の風が冷たいのは当然のなりゆきです。
正直、仕事どころか食うに困るような状態になってしまい、
ココ母にはものすごい苦労をかけました。
ただ、そんな状態でも私には夢がありました。
それは、自分の力で大きな仕事をするという事です。

会社員で仕事をしていると、会社の力で大きな仕事が出来ます。
しかし、会社を辞めて個人の力というのは、なかなか認めてもらえません。
でも、私はいつか大きな仕事がしたいと思って7年かかりましたが、
元いた場所に会社員としてではなく、私自身として戻る事が出来ました。

今、振り返ってみて思う事は、どんな経験も無駄にはならないという事です。
そして、不思議な事に、苦労してた頃の方がいい思い出として記憶が残っています。

tnkは自分の夢を実現する為に、新しい世界に飛び込みます。
その中では、いい事ばかりではないと思いますし、悩む事も落ち込む事もあると思いますが、
夢は叶える為に見るものであって、強い意志と地道な努力をすれば必ず実現できます。
そして、そんな彼女を応援したいと思っている人が沢山います。

ひとつだけ、アドバイスをします。
あなたは人の言葉で悩むところがありますよね。
そして、その事で落ち込んだりしますが、
その事自体は悪い事ではありません。

悩んだり考えたりしなくなったら、人間お終いです。
少しの経験と年齢だけで、訳知り顔になる人が多いですが、
そんな人にはならないで下さい。

tnkの事だから、そうはならないと思いますが、
悩んでも、止まらないで下さい。
前を向いて歩んでいけば、希望が見えてきます。
そして、いつか夢が現実のものとして叶います。

私達はそんなtnkに何も出来ませんが、
少なくとも、あなたの夢が叶う事を信じ、心の底から応援しています。

今までありがとう。

頑張れ! tnk

さやちゃんの誕生日 [ココ父]

クラブで働くおねえちゃんが一番緊張するのが自分の誕生日です。
自分の接客の評価が下される舞台であり、一年間の成果が如実に表れます。
元々、お客さんは正直ですので、おねえちゃんの接客が悪いと自分のテーブルにつけるなとも言いますし、
時にはお店にも来なくなります。
この不景気ですので、相当評価が良くないと、わざわざ誕生日の為にお店には来てくれません。

うちの担当者のさやちゃんが、昨日誕生日でした。
一ヶ月前から緊張していまして、かなりテンパっていたのですが、
彼女はとても人気がありますので、当初は3日間誕生日を祝う予定でした。
しかし、この震災の影響で客足も遠のき、3日間どころか当日もお客さんが来てくれるだろうかと、
彼女は不安になり、かなりの危機感を持っていました。

さやちゃんはいつも、私達にとても良くしてくれますし、私達の誕生日の時も心のこもったお祝をしてくれて、
とても嬉しかったので、ささやかながら私達もお祝いをしたいと思っていました。
昨日、お店に行きましたら、閑古鳥どころかお店に人が入れないような状況で、
正直、ビックリしました。
お店の入口でプレゼントを渡して帰ろうかとココ母と話していましたら、
席を用意しているからと、ママに強引にぶち込まれ席に着きました。

普段はめかしこまない彼女ですが、さすがに昨日は髪型も決め、化粧もバッチリでした。
あちこちのテーブルで、おめでと~の声が掛かっていまして、彼女は大忙しです。
私達のテーブルにはチーママのみさこさんが着いてくれました。
彼女と私達はとても話が合うので、さやちゃんの事も忘れ話まくっていましたら、
さやちゃんが来ましたので、お祝いをし記念撮影をしました。

こんな時期ですので、ピースはやめ「みんなでがんばろう」の意味を込めて小さいこぶしにしました。
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さやちゃんと知り合って、まだ1年も経っていませんが、
彼女からお店に来てといった言葉を聞いた事がありません。
私は性格がひねくれているせいか、あまり誘われるとお店に行かなくなります。
これはクラブに限らず、物を売るお店も一緒です。
彼女はそんな私の性格を知ってか知らずしてか、一切勧誘しません。
それどころか、なんやかやと身銭を切って心配りをしてくれます。
そんな事をしていたら損しちゃうじゃん!と、こっちが心配してしまいます。

人と人の付き合いって、片方が与えるだけじゃ長続きしません。
オーバーな言い方ではなく、彼女の人に対する心配りは完璧に近いと思います。
それだからこそ、そんな彼女を応援している多くのお客さんが、
この状況の中でもお店に来たんだと思います。

本人曰く、おっさんキャラと言っていますが、それはサバサバしている部分があるというだけの事で、
いつも、一生懸命で頑張っている、人に配慮が出来る素敵な女性なんだな~と感じます。

私は基本、自分に甘く人に厳しい親父ですが、1年に一回位は褒めておこうと思います(笑)



普通のこと [ココ父]

昨日、仕事で渋谷に行った時の事です。

みなさん、ご存じの通り、首都圏でも燃料不足に陥っており、
私の車もガソリンが半分位しかありません。
私の業務形態上、車を使用せざるを得ないところがありまして、
燃料確保に頭を悩ましているのですが、いつ開くか分からないガソリンスタンド、
並んで2時間は当たり前、確保できても10~20Lの制限給油です。
被災地のみなさんの事を考えると、困っている次元が違うだろうと言われると思いますが、

・・・正直、困っています。

昨日も燃料メーターを見ながら、あと3日は仕事に行けるだろうかと考えて走っていましたら、
前方に車列が見えました。ひょっとしたらガソリンスタンドが給油しているのかと思い、
最後尾に車を停めて確認しましたら、やはり給油をしていました。
待つ事、およそ15分、ガソリンスタンドに入り、お兄さんに何L入れられますかと尋ねましたら、
満タンOKです!との返答が返ってきたので、思わず助手席のココ母と顔を見合わせてしまいました。
ガソリンを入れてもらい、仕事先に向かいながら感じた事なのですが、
給油ができて当分仕事に行けると思った途端、モチベーションが上がったんです。
普段では、こんな気持ちには絶対にならないでしょうし、当たり前の事だと思っていました。
しかし、「普通のこと」がどれだけ貴重でありがたい事なのか、こういう事態になってひしひしと痛感します。

避難所でインタビューされていた女の子が
「今までの生活がどんなに幸福だったんだろうと思います」
と答えているその言葉を聞いて、胸がつまる思いになりました。

この震災で被災されたみなさんのお気持ちを考えると、軽率な事は言えませんが、
今、私達が考えるべき事は何気なく過ごしている日々が、どれだけ貴重で幸福なのかを思い、
その事に感謝し、前を向き一生懸命生きる事なのではないかと思います。

現在、プロ野球の開催日の事で賛否両論様々な意見が出ています。
100人に聞けば100人の意見があると思いますが、
大切な事は、被災していない私達が出来る事は何かと考える事だと思います。
直接的には、寄付、ボランティア、節電。
間接的には、経済活動を活発にし、被災された方達の復興に力を添える事。

下を向く事では、絶対ありません。

萎縮と自粛は違います。

人は希望があれば前に進む事が出来ます。

みんなでがんばりましょう!!


買いだめ [ココ父]

昨日、トイレットペーパーが無くなりそうなので、
スーパーに買いに行きましたら、入場制限されたあげく品切れでした。
コンビニなんか陳列棚にほとんど品物がなく、
ガソリンスタンドは閉めているにも関わらず、給油待ちの車で道が渋滞しています。

今日、郵便局に用がありましたので、近くのドラッグストアに寄ってみましたら、
トイレットペーパーなぞある訳もなく、この長蛇の列の人達は何を購入しているのかと、
チラッと見ましたら、サランラップとかキッチンペーパーとかを持っていました。

そのまま、お店を出てパン屋さんに寄りましたら、陳列台にパン類は一切なく、
お店の方の話によると、殺気だったお客さんが一気に入ってきて、
いつもでは考えられない時間で売り切れたそうです。

報道で「買いだめ」が起きていると聞いていましたが、まさにこの目で見て実感しました。
私が子供の頃、オイルショックがあり、親に連れられてスーパーに行ったような記憶がありますが、
オイルショックと同じ、いやそれ以上の事が起きているような気がします。

確かに心理として、買いだめをしたい気持ちになるのは分かりますが、
どうなんでしょう?と思います。

今日、散歩でわんこ友達に会って話をしたのですが、
緊急事態以外、車には乗らず、徒歩とか自転車にし、
別のわんこ友達は買いだめしないで、最低限、必要なものだけ購入しているそうです。

とりあえず、トイレットペーパーは、ココ母が長蛇の列に並んで入手できました。
あとは、仕事で車に乗らなくてはいかないので、ガソリンを探しに行ってきます。


中止 [ココ父]

最初の地震が発生した時、私達はもあ・さらと散歩していました。

ちょうど、住宅街を歩いていましたら、家々から人が出てきて、
私達と目が会った瞬間、地面が揺れ始め次第に大きくなり、
立っているのも大変な感じになりました。
電線は大きく揺れ、停まっているいる車も左右に揺れるので、
この地震の大きさを認識しましたが、いつまでたっても揺れがおさまらず。
ココ母は知らない奥さんと手を握り合っていました。

やっと、揺れがおさまったので、うちが心配になり急いで帰りました。
母は無事でした。いろいろ家の中をチェックし、何も倒れていないのを確認していましたら、
義父から固定電話に電話があり、義父の無事も確認できました。
余震が続く中、友人、知人に連絡をとっていたのですが、携帯はまったく通じません。
しかたないので、固定電話から固定電話にかけましたら、何人かと連絡がとれました。

テレビの中継で、津波が町を襲うところをリアルに見て、これは大変な事になったと、
痛感しました。神戸の時もそうでしたが、時間が経つにつれ二次災害が拡大していくので、
これ以上、被害が広がらないよう祈るような気持ちでテレビを見つめていました。

夜から朝にかけ、友人、知人達とも連絡がつき、無事だったのを確認できたのですが、
どうしても、山形の親戚と連絡がとれず心配しておりましたが、人を経由して無事だったのが、
確認でき、ホッといたしました。

こんな状況なので、今日のレースも中止が早々と決定し、残念な気持ちはありますが、
被災された方達の事を考えると、「中止」は当然の事だと思います。

この度の地震で被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
これ以上の被害にならないよう祈るばかりです。

踏み出す勇気 [ココ父]

日曜日のレースを直前に控え、改めて考える事があります。

今回のレースは私とココ母だけではなく、多くの陸上部員が走ります。
皆、私達の走った姿、話を見たり聞いたりして挑戦する気持ちを持ち、練習を続けてきました。

箱根駅伝で選手の走りをみていると、感動したりもしますが、
では、自分が走るかと言ったら、それは別物です。

陸上競技、得に長距離は地味で辛い競技です。そして練習はもっと大変です。
他の人と一緒に練習したとしても、結局走るのは自分自身ですし、
常に自分と向き合い、負けそうになる気持ちに打ち勝たなくては走れません。

学生時代だったらともかく、社会人になったり親になったりして、
それだけで日々は慌ただしく過ぎて行きます。
その生活の中でいつしか人は、こなす事だけに追われ、疲れて、
自分と向き合う事を避けたり忘れていったりして、年を取っていきます。
実際、私もそうであったし、昨年のこのレースを走らなければ、今の自分はないと思います。

正直、部員の皆が走ると言った時、果たして練習が続くか?と思いました。
誰だってそうですが、楽をしたいもんです。少しでも時間があれば休息したり、
楽しい事をしたり、あえて、辛い事をしようとは思いません。
そう考えると、まず走ろうなんて思わないでしょうし、
まして練習をしようなんて考えないでしょう。

ところが、部員の皆は走る事を決意し、練習を実践し、継続しました。
何故、そういう事が出来たかと考えると、皆、環境の違う中で共通して言える事は、
自分と向き合ったからです。
元々、走る事を始めた理由は様々です。

・自分の苦手な部分を克服したい。
・仕事、家族と向き合い壁を感じ、それを乗り越えたい。
・自分に自信を持ちたい。
・新たな自分を見つけたい。
・病気を克服したい。
          ・・・・・etcです。

多くの人が人生を生きてきて、こういう事を一つや二つ考えると思います。
しかし、私は勇気がなかったので、適当な理由をつけては問題を直視せず。
避ける方向で生きてきました。

でも、皆は違っていて、「踏み出す勇気」を持っていたんです。
誰だって困難な事を始めるのは躊躇します。
その気持ちを越えて、一歩を踏み出すという事は、自分と向き合う勇気がなければ、
到底出来ません。

今回、病気や怪我でレースを断念せざるを得ず、その事で落ち込んでしまった人もいます。

この場を借りて伝えたい事があります。

あなたは落ち込む必要はありません。

踏み出す勇気」を持って、一歩踏み出したでしょ。

あなたは自分に自信と誇りを持つべき事をしたんですよ。

これから、立ち止まったり、後退する事は必ず起きます。

でもね、今回、踏み出した一歩はとても勇気ある大きな事なんですよ。

そして、その事は必ず「次へ」つながります。

小さくてもいいから、自信を持って下さい。

各々の結果がどうなるか分かりません。
でも、一つだけ思う事は「今、出来る最高の走りをすればいい」と言う事です。

トップで入ったとしても自分を越えた走りが出来なければ、不本意な気持ちは残ると思います。
最下位であっても、今の実力の最大限のところで走れば、それは敬意に値する事です。
そしてそれは、自分を越えた事になります。

敵は他人ではありません。自分自身です。順位ではありません。
自分と向き合い、打ち勝ち、走り抜いた先のゴールで、必ず得るものがあります。
皆にそれを感じて欲しいし、それだけの事を皆はやってきました。

tocko、mymさん、巨乳、tmk、tmkパパ、myk、mykちゃん、yuyくん、そしてココ母。

勇気を持ち、前を向いて走って下さい。

そして、自分を越えた走りをして下さい。

あなたならば絶対に出来ます。

私は必ず自分を越える走りをして、ゴールで待っています。

頑張れ!!

決起集会 [ココ父]

いよいよ13日のレースまで1週間、部員の士気を高めようと「決起集会」を開きました。
参加者はtocko、mymさん、mykちゃん、yuyくん、そして私達の計6人です。

残念ながら、tmk、myk、巨乳は都合が合わず不参加でしたが、
その分飲んじゃう~♪というノリで、副部長のtockoが乾杯の音頭をとり、
決起集会の始まりです。

レースに懸ける熱い思いを、語り合う流れになるのかな?と思っていましたら、
そのかけらは微塵もなく、tockoとmymさんのトークショー一色になりました。

tockoは見た目が可愛いお嬢様といった風貌で、あまりしゃべるタイプには見えないのですが、
本性は、口を開いていないとダメと言う位しゃべくり倒します。
mymさんは大人な超美人、人生経験が豊かで社交的ですので、話が途切れる事がありません。
そんな2人がトークを始めたので、もう止まる訳はなく、
ココ母も珍しく話に参戦するし、イケメンyuyくんもとても気遣いをしながら話に加わり、
お色気たっぷりのmykちゃんはそんなyuyくんをうっとりした眼差しで見つめているし、
わたくしも最初は参戦していたのですが、その内言葉の洪水に巻き込まれ、気を失ってしまいました。

人間、慣れというのは恐ろしいもので、わたくしがお酒を飲んで気を失うのも当たり前だと認識して頂いています。
いつもだったら、わたくしが失神すると怒りまくるココ母も、
これだけしゃべるメンバーがいると話につまる事もないのでとても寛容です。
おおよそ、1時間位失神していたらしいのですが、帰るぞッ!とココ母に起こされ、帰宅の途につきました。

失神する前にみんなと話をしていたのですが、知り合ったきっかけは各々バラバラです。
しかし私達を含め総勢9名が走るという事だけではなく、こうやって仲良くなれた事はとても嬉しい事ですし、
人の縁って不思議だなって思います。

私は基本的にネクラです。ココ母は本来は太陽みたいでしたが、
うつになって以来社交的ではなくなりました。
そんな私達ですので、大勢の人と一緒に時間を過ごすのは得意ではありませんでした。
しかし、このメンバーと一緒ですと気負う事もないですし、自然体にしていられます。

何故、みんなに対しこんなに好感が持てるのかなって、ココ母と話をした事があったのですが、
そこで出てきたのは「みんなが一生懸命だから」という事です。

世の中の大多数の人々は一生懸命に生きていると思いますが、部員各々、いろんな事を抱えています。
でも、その中で自分を変えたい、現状を打開したい、と前向きに一生懸命努力し生きていますし、
自分の思いをとても素直に表現するので、私達も何の抵抗もなく向き合いやすいのだと思えます。

そんなみんなと接していると、自分もまだ折れる訳にはいかないと勇気が出てきますし、
頑張ろうと前向きになれます。

・・・・・
と、こんな話をしてみんなをジーンとさせようと思っていたのですが、失神してしまいました(笑)
もう今更、後の祭りなのでしょうがありません。
大切な事を話したい時はお酒は控え目にすべきですね(^_^;)

やんちゃ姫 [もさら]

前回のブログで、わたくしからイメージ出来ない事として、
事務仕事、頑張り、生活感などが指摘されましたが、
仕事仲間から一番イメージがわかないもんとして、
わんこを可愛がっている事が上げられています。

確かに元々はインコが好きで、次はにゃんこと生活しており、
その中でわんこを選択するという事はなく、どちらかと言うと猫派でした。

しかし、結婚前にココ母がヨーキーのチビを家族にしてから、
わたくしもわんこと接するようになり、結婚後ココが家族になってからは、
ココ命と言える位、溺愛しました。

その愛情はもあ・さらにも引き継がれており、人様からはイメージ出来ないでしょうが、
わたくしはとても、もあ・さらを愛しております。

ただ、表現方法が淡々としているので、分かりにくいのかもしれませんが、
もあ・さらの事は可愛くてしょうがありません。
昨日は桃の節句でしたので、さらの健やかなる成長を祝いました。

この雛人形は、ココ母、ココと代々引き継がれてきたものです。
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さらは怖がりで臆病です。そんな顔しているでしょ。
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甘ったれで、いつもこんな顔をしています。
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甘ったれてないと、何?って顔をしています。
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威張っているのに、もあと一緒がいいんです。
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もあがいないとダメなさら。
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わがまま放題なさらですが、もあにいちゃんの大きな心に包まれて、
やんちゃ姫」をしています。
もあ、いいおにいちゃんでありがとう!
さらも今年はおしとやかな姫を目指そうね♪

一般の平市民 [ココ父]

今月はとても仕事が忙しく、大変、疲れました。

先日、事務作業をしていた時、フッとtmkに言われた事を思い出しました。
それは、「ココ父さんって、仕事をしている雰囲気がありませんね」という言葉です。
確かに一般の社会人の業務時間帯にもあ・さらの散歩をしていたりするので、
わんこ友達からも同じ言葉を言われた事もありますが、

大体、仕事をしなかったら、飯食えねえだろ!!

それと、もう一つ、わたくしのランニングフォームなんですが、
「余裕ありそうに走ってるね」と言われます。
走っている本人は大変苦しく、もうやめたいと思っているのですが、
ココ母からさえも、「超余裕じゃん!」と言われます。

余裕ある訳ねえだろ!!

そうそう、思い出しました。
この前、tnkの誕生日パーティで、tockoの彼氏のoggから、
「ココ父さんって、最初会った時はタダの酒好きの親父と思いました」

って今はどう思っているんじゃい!!

何なんでしょうね?
わたくしは実直に仕事をし、ストイックに走り、自分へのご褒美に少しのお酒をたしなんでいる、
一般の平市民」なのですが、人様からはそう思われません。

そこで、ココ母にこの事で悩んでいると告白しましたら、

「悩むだけ無理!」と言われました。

何で?と尋ねましたら、

「あんたの顔のつくりがそうなのよ」

・・・どうしようもないじゃん!

気を取り直して、今日はとても暖かいですね♪
梅をバックにもあ・さらをパチリ!
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勇気のある走り [ココ父]

今度のレースは昨年、「32年目のゴール」で走った記念の大会なので、
昨年のタイムより速く、出来れば6位入賞を狙っています。
元々、昨年は40位でしたので、あまりにも無謀な話なのですが、
それを目指して練習してきました。
ところが最近、ジムで思うように走れません。
次のレースまであと3週間、自分の考えている走りには程遠いレベルです。

今、3月のレースを目指して一緒に頑張っている仲間がいます。
知り合った時に「走る」という事を話したら、私も走りたいと言ったtocko、
同じグループ枠で一緒に走れるのは今年が最後なので、参加を決めた巨乳、
「32年目のゴール」を読んでくれ参加を決めたmykちゃんと彼氏のyuyくん、
1月のレースを見に来てくれ、何かを感じ参加を決めたtmkとご主人、myk。
各々、忙しい合間をぬって練習しています。

よくジムでココ母とtockoに言う言葉があります。
それは「勇気のある走り」という言葉です。
タイムトライアルをしてると、
今ここでスピードを上げたら、最後まで走り切れないのではないかと思い、
スピードを抑えてしまう時があります。
確かに無謀な走りは意味がありませんが、限界に挑戦する勇気をもって走らなければ、
本番では後悔する事になります。

誰もが1番になれる訳ではありません。
走る人それぞれが、今走れる自分の限界に挑戦する事が大事だと思いますし、
記録が思わしくなくとも、「勇気のある走り」をすれば、
後悔というより、次頑張ろうという気持ちになると思います。

ココ母とtockoは、今そういう練習をしています。
最初は2人とも、すぐ諦めてばかりいましたが、
今はウォリャ~といった感じで激走しています。
ところが、私がスピードの壁にぶつかってしまいました。
正直、人に言うくせに自分はどうなの?と言ったら、
今、「勇気のある走り」は出来ていません。

昨日、ジム陸上部が久々に全員揃いました。
家庭の都合で、中々練習に出てこれない巨乳が最長距離を走破。
お父さんが急逝して体の調子が悪いのにジムに出てきたmymさん。
淡々と走りながらも汗びっしょりになり、自己ベストを出したtocko。
ものすごい声を上げながら走り、自己ベストを出したココ母。

そばで練習していた私は、ハッと気がつきました。
自分は記録に囚われすぎたのではないだろうか?
それよりも、前を向く気持ち、気迫が足らなかったのではないだろうか?
みんなを見てて、そう思いました。

日々、距離を伸ばしているtmk、実態は分からないけど密かに練習しているmyk。
熱いハートで土手を走っているmykちゃん。

・・・胸が熱くなります。

私はとても素晴らしい仲間に出会えたんだなと実感します。
最年長の私が言うのは情けないかも知れませんが、
みんなから「勇気」をもらったのは、間違いない事実なんです。

もう迷いは吹っ切れました。
あとは、前を向いて走るのみです。
ココ母が以前、私に言ってくれた言葉。
「今、出来る走りをすればいい」を胸に頑張ります!


人生初チョコ [ココ父]

むか~し、中学生の頃だったと思うのですが、
生まれて初めてチョコをもらった事があります。

私達の時代は義理チョコというものはなく、
本当に好きな男子にあげる感じでしたので、
モテないわたくしは、チョコをもらえるなんてありえませんでした。

しか~も、直接手渡された訳ではなく、いつの間にかカバンの中に入っていまして、
それには手紙が添えられておりました。
誰からだろうと期待に胸ふくらませて読んでいましたら、名前が書いてありません。
それに、異性に告白といった内容ではなく、頑張っているあなたを応援してます。
といった内容でしたので、文章はとてもしっかりしているし、誰?と想像を巡らせ、
何度も読み返していましても、分かりません。

まあ、それでも「人生初チョコ」なので、家にいた姉貴に自慢しました。
ひとしきり、わたくしの自慢話を黙って聞いていた姉貴は、
そんなに喜ぶとは思っていなかったと、ボソッと言い、

「ゴメンね♪それ私なの~、どうせチョコもらえないだろうから、
可哀想になっちゃってさ~、あんまり食べ過ぎないでね!」と言い、
逃げるようにわたくしの前から消え去りました。

・・・惨めでしたね。
姉貴は悪気はなかったのでしょうが、かなりガックリしました。
まあ、姉貴も反省したのか、その後コンサートに連れていってくれたので、
帳消しにしましたけど。

高校生になってから、奇跡的にモテた事が一瞬あったのですが、
季節が違いましてチョコはもらえず。
その後、ココ母と付き合ったので彼女からはもらっていました。

大学は男子しかいませんでしたし、
社会人になってからは、会社のおばちゃんに義理チョコをもらう位で、
独立してからは、ココ母にいらないと言ってもらいませんでした。

この1,2年、知り合った女子から頂きまして、ありがたいなと感謝しておったのですが、
今年はたくさんの女子から頂きました。
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もらった順から、
tmk、myk、tocko、mymさん、ym姉、sgr、oonさん、tnk、巨乳、うちの母。

うちの母には感謝はしますが、それは別として、
大好きなみんなからプレゼントしてもらい、とっても嬉しいです。
ホワイトデーの事を考えると、頭が痛いのですが、
それは考えないようにして、鼻血を出さないよう気をつけて頂きます♪

ちなみにココ母はくれませんでした(笑)

追伸:ブログを書いていましたら、ココ母が「やるよ!」と言い、
   チョコをくれました。
   不気味だなと思っていましたら、大雪になりました(-_-;)
   
   ・・・やっぱりね。

復活 [ココ父]

この2週間、走るなと病院の先生に言われたので、
ひたすら筋トレのみのメニューをこなし、
ジムで陸上部の面々が走っていても、じっと我慢しておりました。
先日、足の状態を診てもらう日でしたので、先生に診てもらった時の事です。。

「どうですか?足の状態は」

「おかげ様で痛みがなくなりました」

「エッ!!、もう、痛くないの?治るのが早いね~」

「先生のご指導通り、走りませんでしたから」

「それにしても、早いね。。。ウ~ン・・・」

「?・・・まだ、走らない方がいいんでしょうか?」

「いや、痛くないんでしょ!走っていいよ」

「痛くはないのですが、何か違和感があるのですが・・・」

「固まった感じでしょ、平気ですよ」

「走っても、違和感が取れない場合は、やめた方がいいんでしょうか?」

「いやいや、走れば治るから、どんどん走った方がいいよ」

「・・・はい」

この、問答の間、先生はわたくしの足を診る訳でもなく、
全て、わたくしの自己申告で診断なされました。
とってもアバウトで一抹の不安?はあるのですが、
信頼している先生ですので、病院の帰りに直接ジムに行きました。

久々のランなので、軽く3キロ程度にしときましたが、
少し、苦しく感じました。
でも、走るのはやっぱり気持ちがいいです。
自分だけ走る練習が出来なかったので、焦らないようそれだけ心がけました。

それから、わざわざジムに悩殺バディのtmkとmykが、
バレンタインのプレゼントを届けに来てくれました。
彼女達のナイスバディを見れるだけで鼻血ブーなのに、
プレゼントなんか食べたらヤバイかもしれません。

さあ、これから「復活」です。
レースまで約一ヶ月、怪我に気をつけて練習頑張りま~す♪

この字が読めますか? [家族]

先日、母が内視鏡検査を受けるので、病院へ連れて行きました。
受付で順番待ちをしていたのですが、少し待たされていた時、
ココ母が、母に、「この字が読めますか?」と、小雑誌を見せて聞いていました。

去年、母が白内障の手術をうけ、今まで使っていたメガネの度が合わなくなり、
新しいメガネに変えたのですが、遠近両用にしたのにも関わらず、
近くの字が読めないと言いますので、眼科とメガネ屋さんに再度調べてもらったのですが、
母の視力とメガネは合っていますと言われました。

結局、メガネの老眼のレンズ部分に、
うまく焦点を合わせられないのではないか、との結論になりました。
今まで使用していたメガネも遠近両用で、そちらではちゃんと焦点を合わせられたのに、
何で?となりましたが、母には、新しいメガネに慣れてもらうしかありません。

私とココ母で、色々説明して、ああだこうだしたのですが、
母は見えない、見えないの一点張りなんです。
今まで出来た事が出来ないので、私は痴ほうを疑ったのですが、
ココ母は、いや違うと言い、辛抱強く母に教えていました。

私は結局、業を煮やし、新しく老眼鏡を母に作ってしまったので、
母は近くを見る時はそれを使用するようになってしまいました。
それでも、ココ母は事ある度にこれ見えますか?と、根気よく聞いていたんです。

病院の待合で、母にこの字が読めますか?と、又聞いていたので、
どうせ、無理じゃん!と思っていたら、
母が○○○って字だよね?と、ココ母に自信なさげに尋ねました。
お母さんすごいじゃないですか!合ってますよ!!と、ココ母が興奮気味に言いましたら、
この字は○○でいいのかい?と、母は次々に読んでいきます。
お母さん良かったですね♪そうやって読めばいいんですよと、
ココ母は嬉しそうに言っていました。

実の息子が諦めてしまっていたのに、嫁さんのココ母が諦めないで、
母の為に根気よくしてくれた行為に対し、正直、私は自分が情けなくなりました。
私は人様に対してはそれなりに行動できるのですが、
自分の母にはあまり出来ません。
別に母を憎んでいるとか照れてるとかないのですが、
どうしても、うまく出来ないんです。

それなのにココ母は、私が本来やらなければいけない事をやってくれています。
親子って難しい。では済まされないんですよね・・・

母も、もう高齢です。
いつ何があってもおかしくありません。
出来れば、母には寂しくなく、穏やかな気持ちを持ったまま、
天寿を全うしてもらいたいと思っています。

これから自分が、何を考え、何をすべきか、
ココ母に教えてもらったような気がします。

走れない [ココ父]

アキレス健を痛めてから走る練習が出来ません。
お医者さんからは、10日までは絶対に走るなと言われているので、
止むを得ませんが、悶々としています。

湘南国際の10日前に足に違和感を覚えたのにも関わらず。
無理して出走した結果なので、自分の責任ですし、
ココ母と一緒に走りたかったので、その点は後悔していないのですが、
分かっていた事とは言え、「走れない」現状がじれったいです。

3月にレースがあるので、今はじっと我慢するべきなのですが、
陸上部のメンバーが走っているのを尻目に、
リハビリメニューを黙々とこなしていると、
走りたい!!と痛切に感じます。

1年前に32年目のゴールで復活して以来、
自分にとって走るという事が生活の一部になっています。
いろんな事があって、昨年の3月から半年間練習をしていませんでしたが、
秋から練習を再開して以来走ってきました。

それに、3月のレースは陸上部の仲間が全員レースに出走します。
ほとんどのメンバーが陸上経験者ではありませんし、初レースです。
年齢もバラバラですし、レースに出走する動機も様々ですが、
皆、それぞれの思いがあって挑戦します。

自分もココ母もそうでしたが、実際にレースを経験してみて、
人生感が変わったと思います。
人それぞれですから、皆がそうなるかは分かりませんが、
走り終えたあと、自分に小さな勇気と自信を感じて欲しいんです。
それを得る為には、辛くて地味な練習を重ねなければいけません。
でも、その積み重ねをしていけば必ず結果がでます。
その練習の過程で、私がサポートできればと考えていたのですが、
残念ながらリハビリ中といった状況に、悔しい思いがあります。

ココ母が完走した時、
「ゴールで待ってて、ハグしてあげたかった」
とmimimamaがカキコしてくれました。
その言葉を読んで涙が止まりませんでした。
事情が分からない皆さんには、?だと思いますが、
いろんな事が思い起こされ、心が震える思いがしました。

3月のレースで出走の順番は私が最初です。
そこで、私は自分を超える走りをしようと思っています。
そして、みんなが自分と闘いながら走り抜い時、
ハグしてあげたい気持ちで一杯です。

と、妄想の世界に入り、勝手に盛り上がっておりましたら、

「あのな、誰もあんたにハグしてもらいたいなんて思わないぞ」
とココ母が言いやがりました。

「そんな事はない!みんな思いは一緒だ~~」
と反論しましたら、

「みんな可愛い女子、あんた、ただのおっさん、ありえな~い!」
とバッサリ言われました。

・・・誰かハグさせてくれませんかね?

まず、ないでしょうね。
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可能性は0でちゅね。
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そんなもんですかね?

そんなもんでちゅ!!
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走ること [ココ母]

皆様に応援して頂いた湘南国際マラソン。
無事に規定タイム内に完走し、念願のメダルを手にすることが出来ました事、
心より感謝申し上げます。
ありがとうございました。

ココ父が四回に亘り、メダルの重さで記した様に、うつの生活も長くなってきました。
実際には、10年近くになると思います。

うつが悪化し、出来る事の方が少なくなった時に、ココ父がよく言ってくれた言葉。
それは、「何でもいいから、やりたい事だけし、気が休まるならそれだけしていればいい」でした。
申し訳なく思い、無理に出来ない事をして頑張らなくていい。
それより、気持ちが楽でいられる毎日を過ごせれば、でした。

キルトに出会った時、キルトをしていると「無」になることが出来、その時だけは心が穏やかでいられ、
楽しく思え、家事をとっとと済ませて、一日中、キルトをしている事もありました。

それほど大好きだったキルトもする気力がなくなり、それでもお教室には通っていたので、
自由参加の作品展や販売用の作品など、納期の決まっている作品以外は一向に針が進まない日々になっていきました。

そんな生活を送っていると、いつしか自分でも諦める心が出来てきます。
今は無理するより休む時。みたいに。
でも、そんな何も出来ない、気力のない自分を見つめると、怠け者にしか思えず、
自己嫌悪に陥り、益々心が落ちてしまいます。

自分に自信を持てる事もなく、うつによる落ち込み、いつになったらここから抜け出せるのだろうと思う気持ちの中、
いつしか、完治しなくても上手に付き合って行くしかないと思うようになりました。

そんな毎日を過ごしている時に行ったのが、ワン友が参加する湘南国際マラソンの応援でした。
42キロもの距離を走り貫き、ゴールした姿がとても眩しく、輝いて見えました。
オリンピック選手が大きな大会で走っている姿は何度か見た事があり、
ただただ、速い!が印象で、身近な人がフルを走っている姿を見たのは初めてでした。

完走メダルを首に下げ、眩しく輝いた笑顔を見て思ったのが、
私もあの完走メダルが欲しい!!!です。

短距離は速い方だったので大好きでしたが、長距離は苦手で大嫌いでした。
そんな私が、10キロも走れるだろうかと不安もありましたが、
完走の制限時間が1時間30分だったので、歩いても望みがありました。

そして秋から休んでいたジムに行き始め、トレーニングの始まりです。
過去に、3キロ以上走った事がないのにどうしましょう・・・の毎日です。
ジム友が同じ様に苦しみながら頑張っていたから、走ってこれました。
苦しくて、苦しくて、もう止めたいと思いながら距離を伸ばし、
年末にやっと、ランニングマシーンのバーに摑まりながらも10キロ走れた時は嬉しかったです。

そして今年に入り、やっと自分の手脚のみで10キロ走る事が出来て心に変化を感じました。
毎回、辛くて、走る事をいつ止めようと思いながらしてきた練習でしたが、
諦めずに堪えた事が自分の力になっていると感じられた事です。

でもそれ以上に、一番嬉しく感じた事は、走る事は自分との闘いだと思えた事です。
勿論、体調を考慮した上でのことですが、辛くて諦めて止めてしまうと、そこで終わりです。
辛くても諦めずに走り貫く心が、結果に繋がる。
それが大嫌いな長距離から教わった事でした。

ゴールしたら泣くだろうか、飛び上がるほどの喜びだろうかと、色々考えましたが、
10キロのレースに出てみて感じたのは、完走出来た喜びはありますが、
それ以上に、必ず努力が結果に繋がる、負けないで良かったという気持ちの方が大きなものでした。

自分が何なのかという自分への問いかけが頭の中から離れる事がなく、
ジュピターの歌の様に、自分を信じてあげられない辛く悲しい日々の繰り返し。
自信の無かった私の心に、努力が報われる、頑張れる自分を発見し、
大嫌いだった自分自身を少し可愛く、少し好きになれた事が走ることで感じる事が出来ました。

うつの私と、昔と変わらずお付き合いをして下さった皆様、ありがとうございました。
うつと知っても、仲良くして下さった皆様、ありがとうございました。
皆様の応援で、諦めず、頑張る力を沢山いただき、完走する事ができました。
完走のメダルは皆様からいただいたメダルだと思います。


ココ父、

ずっと、ずっと、支えてくれてありがとう。
ミイラ取りがミイラになることが気がかりでした。
疲れてココ父も、うつになりそうな時もありましたね。

でも、常に私を一番に考えて、元気になるように、おどけてみたり、エロ親父になったり、
ココ父が軽い人だと思っている人もいると思いますが、
本当は真逆な性格なのに、私が元気になる為にあえてピエロになり、人からどう思われようとも、
何でもしてくれ、全力で一緒に戦ってくれていますよね。

うつでいる時間が長く、いつも私が、人としての成長が止まってしまう、遅れてしまう。
何にもならない10年を過ごしていると言うと、いつかその年月が大きく実る時が来る。
決して無駄にはならないと、言ってくれます。

まだ、うつが治った訳ではないけど、少し気持ちと体が楽になった気がします。

ココ父が言っていた、「陸上は自分が努力した分、自分の力になる」を糧に、
これからも一つずつ、少しずつ、前に進めたらと思います。

そして一度も見た事のない、走っているココ父の姿を見せてくれてありがとう。

32年目のゴールで、私も勇気を貰いました。元気を貰いました。

ただ、心配な事があります。
ココ父は、いつも自分の事より、私を含めて他の人の幸せを考えて行動しますよね。
素晴らしい事だと思うけど、いつか、倒れるのではないかと思います。
だって、自分の事はいつも後回しにして、24時間態勢で人の為に動いているでしょ。
それって、あまりにも自分に負荷がかかるじゃないって、以前聞いたら、
「自分が楽な時は人に対し優しくなれるけど、真の優しさは自分がきつい時にでも同じ事が出来るかという事だ」
と言いましたよね。
自分は、まだそういう事ができないから、一生懸命やるんだと言いますよね。
ココ父は、そんな事が出来る人だと思いますし、もう、十分人に対し行っていると思います。
だから、これからは少し自分の為に生きて下さい。
もっと、自分自身をいたわって下さい。

少しでも、ココ父が楽になるように、私も頑張ります。

今まで、ありがとう。

これからも、よろしくお願いします。


メダルの重さ(誇り) [走る]

ココ母がパニック障害の発作を起こすとまずいので、早朝に出発しました。
近所の巨乳と連立って、新横浜でtocko達と待ち合わせをし、新幹線で小田原まで向かいます。
早朝のせいか楽々座れ、ちょっとした小旅行気分なんですが、ビールが飲めないのが残念。
小田原で東海道線に乗り換え、二宮駅で降り、バスで会場の大磯プリンスホテルに向かいました。
フルマラソンに出走する人達は、私達より1時間早いので、二宮駅からワンサカいます。
会場に到着すると、もう人の波で熱気にあふれていて、自然にテンションが上がりました。
ベースを確保し、準備をしているまに、他のレースの人達がスタートして行きます。
ココ母と私はアップしたりトイレに行ったり、そんな事をしているまに集合時間の9時30分になりました。
応援のみんなと固い握手をかわし、スタート地点に向かいます。

10キロを走る人は約5000人、周りを見渡すと人、人ばかりです。
開会式が終わり、アナウンスの人が盛り上げます。
なんか、とっても嬉しくなりました。

そして、9時50分号砲が鳴り、いよいよスタートです。
レースのルールとして、先頭がスタートしてからタイム計測になりますので、
自分達がスタート地点を過ぎるのが遅いと、その分ゴールが遅くなります。
11時30までにゴールしないと、失格になり、ココ母が欲しがっている完走メダルがもらえません。
やきもきしていましたが、先頭から遅れること約2分、スタート地点を通過する事が出来ました。
ココ母は外を走った事がなく、ジムのマシーンでの10キロのタイムが1時間13分でしたので、
これなら、いけると思い、オーバーペースにならないよう淡々と走ります。

途中、沿道の人達からの声援、ボランティアの方達から、ガンバレと声援を掛けてもらい、グッときました。
ココ母はいいペースで走っていましたら、急にお父さんと叫ぶので何事!と思いましたら、
義父が沿道におりました。精一杯手を振ってから前を向いて走ります。
そうこうしている内に折り返しになりましたので、時計をみると30数分。
これは完璧にいけると思い、携帯でみんなに電話です。
11時ちょい過ぎにはゴールできると連絡をし、待っててね~と電話を切りました。

残り4キロ位から、ココ母が苦しそうになってきましたが、彼女はけっして止まりません。
ずっと、励ましながら走りました。残り2キロ、かなりきつそうです。面白い事を言ってもシカトされました。
そしてラスト1キロ、沿道の人達の声援が力になります。
ゴール前に心臓破りの坂があるのですが、ココ母は歯を食いしばって走ります。
坂を上がったところで、tocko、myk達がいて声援を掛けてくれました。
ゴール地点には巨乳、tmk達が精一杯声援してくれています。

ココ母はラストの直線、根性でスパートし、2人で並んでゴールしました。
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時間は1時間4分28秒。予想を大幅に上回るタイムです。
そして、ココ母念願のメダルを係りの人が首にかけてくれました。
彼女は誇らしげに、何度もメダルに触っていました。
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ゴール地点にはみんなが集まっていて、ハイタッチです。
ココ母は嬉しそうなとてもいい顔をしていて、輝いていました。
私は一刻も早くビールが飲みたかったのですが、ココ母が記念グッズを買い物していたのでお預けです。
やっと、買い物も終わりみんなで乾杯です。

みんなから、ねぎらいと称賛の言葉をもらってココ母は嬉しそうでした。
私はひたすら飲んだくれなければいけないので大変です。
楽しく談笑している内に、フルマラソンを走っているわん友の応援に行きました。
レース直前に腰を痛めてしまったので、どんな走りになるかなと心配していたのですが、
彼は走り切り見事にゴールしました。
ゴール後、話をしたら次回は一緒にフルを走ろうといわれましたが、?です。

帰りの電車の中、応援で疲れたんでしょうね。
みんながコックリしているのを見て、せっかくの休みに私達の為に時間を費やしてくれて、
ありがたい気持ちで胸が熱くなりました。

うちに戻って、速攻でもあ・さらの散歩をし、
ダッシュでダイナーに行き、打ち上げをしました。
お店の方達からも拍手をしてもらい、いいお酒が飲めました。

今回、ココ母が10キロに挑戦する事に、たくさんの方に応援して頂きました。
ショコラままとkaitoからは、祈りの込められた手作りのミサンガ、
るぱん家からはパワーリストバンド、両方手首に着けて走りました。
当日、応援に行けないからとsgr、tnk、mykちゃんから応援のメール。
病気になって来れなくなったmymさんから、頑張ってメール。
クラブのおねえさん達から、完走を願ってますメール。
そして、今月決算の書類が間に合わないのを、休みを返上して代わりに作って下さったホーリー。

・・・ココ母は幸福もんです。

私達にとっては7年の歳月は長く、そしてレースは大きな挑戦でした。
しかし、私達の事を自分の家族のように心配し、応援して下さった皆さん方に、
心の底から感謝をし、人ってあったかいなとあらためて感じます。

うつ病を抱えていると人と積極的に関わりたいと思いません。
それどころか、ほっといてほしいと思うのもしばしばです。
私達夫婦はそんなでした。しかし、この2年間意識的に人と関わるようにしてきて、
いろんな事がありましたが、みなさんから人の思い、そして勇気を頂きました。

みなさん、たくさんの応援、ありがとうございました。
ココ母はみなさんのおかげで、立派にゴールする事ができ、
これからの人生に希望をもつ事ができたと思います。
本当にありがとうございました。


最後にココ母へ、

7年間の歳月を通して、多くの事を学んできました。
これは、あなたがうつにならなければ、分からなかった事です。
人の立場にたって物を考えるという事、思いやりをもって人に接する事、
家族、友達の大切さ、全てが欠落していた私にとっては、結果的にあなたが身を挺する形で、
学び、身につける事が出来たんだと思います。

あなたが苦しんでいた7年間、そばにいる事しかできず。
何も出来ない自分が歯がゆくてジレンマに陥った事もありましたが、
あなたは苦しみのドン底から這い上がって来て、自分の2本の足で立ち、
前を向いて走りゴールしました。
折り返しを過ぎてから、あなたが苦しそうに走っていたのを見て、いつ止まるかと思いましたが、
最後まで走りぬきましたね。

陸上にはまぐれはありません。練習で走った距離、あがき、もがいた回数で必ず結果がでます。
あなたは自分自身の力で完走したんです。
それは、誇るべき事ですし、あなたが努力した末の結果なんです。

うつの7年間から昨日のゴールまで、全てを見てきて、

私はあなたを「誇り」に思います。

完治した訳ではありませんし、これから悪化するかもしれません。
でも、あなたなら又、必ず復活できます。
そんな人と、人生を共にする事が出来る自分は幸せだなと実感します。

よく頑張ったね。

お疲れ様でした。

そして、ありがとう。



メダルの重さ(頑張れ!) [走る]

ココ母はジムに行くのを嫌がったのですが、
だましながらも何とか通えるようになったのは、tockoのおかげです。
私達が練習を再開するのと、tockoがジムに通うようになったのは同時期でした。
元々、私が彼女をジムに誘ったので、
tockoがジムに来るのにほったらかしは出来ないだろうと、
ココ母もジムに行くようになりました。

ココ母とtockoがレベル的に同じ位だったのも、いい結果をもたらしました。
お互いに競い合うというより、相手がこんなに頑張っているのだから自分も頑張ろうと、
互いの存在が励みになっていったんです。
そして、mymさんもジムに通うようになり、
女子3人がとってもいい関係になっていきました。

今年に入って、mykちゃんが参加、巨乳もジムに入り、一気に大所帯です。
ココ母もタイムは別にして、レースを完走できるレベルまでに仕上がりました。

正直、レースを直前に控え、思う事があります。

この7年間、私が一番恐れていたのは、ココ母が自殺する事でした。
彼女への言葉、態度は細心の注意を払いましたが、重く長い年月を過ごし、
私自身もダメになりかけた事がありました。
そんな私を救ってくれた人達がいたんですが、残念な事に今は付き合っていません。

ココ母が昨日ポツリと言いました。
もし、完走メダルが取れたら、彼女達に報告しに行こうよ。
あんたがあの時つぶれていたら、今の私達はない訳だし、
それを救ってくれた人達に感謝の気持ちを表すべきだと。

・・・私もそう思います。

あくまで、私の個人的な見解ですが、うつは日常、当たり前の事が出来なくなっていきます。
ただ、見た目は普通ですので他人から見たら、
なまけものとか精神的に弱い人と思われがちで、
その周囲の視線に耐えられなくなり、人と接するのが苦痛になります。

元気になりたくない人なんていません。
でも元気になろうとする気力が湧かないんです。
そして、気力が湧いたとしても体が動かない、言葉に表現できない、等々、
およそ健常な人には理解し難い病気なので、次第に孤立していきます。
そんな中でも、本人は普通の生活がしたい、それが出来たら他は望まないと思っています。
少し元気な時に無理をすると、うまくいかなかった事に対し、大きな反動がきて、
自己嫌悪になり、こんな思いをするのだったら、
死にたいとか死ぬまでひっそりしていたいと思います。

これが7年間、うつのココ母から学んだ事です。
でも、あえて私は、禁句をココ母に言いたいと思います。
レースを楽しんで走れとか、完走出来なくてもいいなんて言うつもりはありません。
プレッシャーになるのも分かっています。
でも、あえて言います。

頑張れ!

もし、完走できたとしても、うつが治ったとは思いませんし、反動がくるかもしれません。
でも、7年間2人でうつと闘ってきたのは、紛れもない事実です。
そして、そんな私達を心配し、救ってくれた人達の為にも、
完走したい気持ちをココ母は強く持っています。

その為に彼女は努力してきました。

本当に本当に頑張ってきました。

地味で辛い練習にも歯を食いしばって耐えてきました。

ココ母は気づいていないと思いますが、

この練習を通して彼女の中に「折れない心」が芽生えたんです。

ココ母が病院に行かなかった事は、医学的に見れば、間違った選択だったのかも知れません。
病院に行き早い治療を受ければ、7年もの間苦しまなかったかも知れませんが、
私はココ母の選択を尊重した事を後悔していません。

バカな夫婦と思われるでしょうが、7年の歳月を通して、
うつに限らず病気で苦しむ人の気持ち、家族の気持ち、夫婦とは何か?
といった事を自分達なりに学べたと思っています。

ココ母の意志、それは自分でうつを治してみせるといった無謀なものでした。
今、現在治っている訳ではありませんし、沢山の人のおかげがあって、
ここまで良くなってきたのは事実ですが、
よく、ここまで自分の力で戻ってきたと思います。

そして、今度のレースは私達夫婦にとって、
7年間の苦しかったうつへの決別のゴールにしたいと思って走ります。

今、ココ母は自分の力で立ち上がり、前を向き、スタート地点に立ちました。

1月23日、9時50分、号砲と共に彼女は最初の一歩を踏み出し、
湘南の風になりゴールを目指します。

メダルの重さ(肥満) [走る]

最初の転機はピアスでした。

私が友達からプレゼントを頂いたので、お返しにピアスを買いに行き、
ココ母もなんか買えばという事でイヤリングを購入しました。

ところが、ピアスに比べイヤリングの数があまりにも少なく、
おしゃれを楽しむのだったら、ピアスの穴を開けるしかないねと言いましたら、
しばらく彼女は悩みましたが、お医者さんに行って穴を開けてきました。

穴を開ける前に冗談で、穴を開けたら、1ヶ月に1個ピアスをプレゼントするよと、
私は約束していたので、毎月買いに行く羽目になりましたが、それが良かったんです。

元々、宝飾品には興味がないと言って、一切身につけなかった彼女ですが、
品々を見たり、身につけたり、お店の人と話したりする中で、ゆっくりですがココ母に表情が出てくる様になりました。

実はそのお店で知り合ったのがsgrです。自然な流れの中でsgrと私達はプライベートでも付き合うようになり、
お互いにいろんな話をして友達になっていきました。そして後に後輩のtnkも他のスタッフ共、
楽しいお付き合いをさせてもらう様になりました。

人と付き合うと、疲れてダメージが大きいココ母でしたが、私はあえて積極的に人と触れ合う様にしました。
逆効果になるかも知れないと危惧はありましたが、今回は今までと違い、ひょっとしたらというのがあり、
彼女は翻弄されていましたが、私は強引に人と会い続けました。

そんな中、第二の転機が訪れました。

今回、私達が走る湘南国際マラソンにわん友が出るというので、応援しに行った時の事です。
規模が大きい大会でビックリしましたが、様々な人が走りゴールをしているのを見て、
いろんな感情が湧いてきました。

車イスの人、視覚障がい者の人、臓器移植の人、いろんな人達が一生懸命走り、ゴールするのを見て、
自然に涙がこぼれてきました。
そしてわん友がゴールし、完走メダルを首から下げているのを見た時、
とっても輝いて見えました。それは彼だけではなく、走り終えた人々全ての人達が、私達から見てキラキラ見えたんです。

わん友自身、不本意な走りと言っていましたし、走り終えた人達も様々な感情があったと思いますが、
7年間輝きを失い、光を失っていた私達にはとっては、まぶしい光の洪水でした。
そして、私達が思った事は、あちら側の人間になって完走メダルを手にしたいという感情です。

ココ母自身、長い間うつ病で疲弊していたのは事実ですが、顔を上げ前を向くという事が出来ない日々でした。
でも、良くなりたい、普通の生活に戻りたいという気持ちはありましたが、行動をするという事が出来ず、
一生、こんな生活が続くのかなといった状態でしたので、私はココ母の心に浮かんだ。
完走メダルを手にしたいという気持ちに懸けようと思いました。

願望だけでは結果は伴わないので、湘南国際マラソンの3か月後のレースに私は出場し、走り切りました。
そんな私の姿を見て、ココ母は自分自身もエントリーし練習を始めました。

しかし、現実は簡単ではありませんでした。
ココ母は運動とは縁がない生活でしたし、体力がまったくなかったんです。
そして、彼女自身耐えられなかったのが「肥満」でした。
うつにより動けなくなり、じっとしている生活が続く日々と、太りやすい年齢や体質とが重なり、
彼女は適正体重を軽く超えていました。

今年の秋から練習を始めたのですが、彼女はジムの鏡に写る自分の姿に嫌悪し、他の人達と比較してジムに行きたくないと言い始め、
それはそれは激しい感情でした。彼女は自分の姿が醜いとのろい、泣き、収拾がつかない状況になっていき、
私はなだめながらも、レースに出るのはもう無理かなと思いました。

・・・続く

メダルの重さ(ココの気持ち) [走る]

ココ母の様子が変になってきたのが7年前の秋でした。
症状的には、いくら寝ても寝足りないというか、昼間も夜も一日中寝ているんです。
最初は主婦湿疹で処方されている薬の副作用で、起きていてもボーとしているのだと思っていました。
しかし、薬を止めても症状は改善されるどころかひどくなる一方で、
彼女は家事が段々出来なくなってきたんです。
私は無知だったばかりに、彼女の事をやる気のない奴と思ってしまい、怒ったり責めたりしました。

しかし、ある日の夕方家に帰ったら、真っ暗なリビングの中で彼女が表情のない顔をして、
座っている姿を見た時、これは尋常ではないと初めて気がついたんです。
そこで自分なりに色々調べて、彼女がうつ状態だと確信しました。
正直、うつ病という名前は知っていましたが、大した知識もなく、
単に、落ち込みの程度が、激しいバージョン位の認識だったのですが、
目の前にいる彼女は、そんな誤った認識が吹っ飛ぶ位の状態でした。

私は精神科に行こうと何度も勧めたのですが、彼女は病院にはどうしても行きません。
そして、何の手も打てないまま日々が過ぎて行きました。
そのうち、ココ母は不眠症になってしまい、ますますボロボロになっていったんです。
それでもココの散歩だけは、やめませんでした。ただ、人の言葉に敏感になっていたので、
散歩で人と会って話をして帰ってくると、ものすごく疲れてしまい、
ぐったり横たわって何も出来ず。
彼女はそんな自分に嫌気がさして、死にたいと口走る様になりました。

私の祖母は弟を自殺で失いました。私は小さい頃からそんな祖母の後悔と懺悔を聞かされていたので、自殺というのはその本人も残された遺族も、とても辛く悲しい事なんだと深く心に刻んでいたんです。
私はココ母がうつ病になったのは自分の責任だと思っていましたし、その上自殺させてしまったら、死んでも死にきれないと思いました。

それまで仕事の都合もあり、ココの散歩はココ母に任せていたのですが、
散歩に間に合うような仕事にシフトするようにし、極力一人で散歩させないようにしました。
ただ、それだけでうつ病が良くなる訳ではなく、精神状態は上がったり下がったりの繰り返しで、このまま、一生治らないのではないか?と私は思うようになってきたんです。

そんな中、義母が倒れ、家族で懸命に看病したのですが、一月後に亡くなりました。
ココ母と義母は姉妹のように仲が良かったので、もうダメだと思ったのですが、彼女は持ちこたえました。
しかし、持ちこたえはしましたが、良くなる訳ではなく、その2年後にココが亡くなった時は、完全にダメだと思いました。

義母のお葬式に来て下さったご住職に、ココのお葬式を取り仕切っていただきました。

その時ご住職が、
ココちゃんはお母様より先に亡くなるはずだったんですよ。

でもね、ココ母さんがお母様を亡くされた悲しみが少しでも癒えるまで、

ココちゃんは寿命を超えて頑張って生きたんですよ。

ココちゃんをほめてあげて下さい、

そして、気持ちに応えて上げて下さいと言われました。

・・・その言葉を聞いて私達は声をあげて泣きました。

ココが7歳で水頭症を発症した時、正直、長くは生きられないだろうと思っていたのですが、
ココは頑張って15歳近くまで生きてくれました。
ご住職のお話が真実なのかは分かりません。でも、晩年目が見えなくなり、片足が不自由になり、それでも、ココは懸命に生きていました。そして2.6キロあった体重が1.2キロになっても、最期の最期まで命の灯を燃やし続け、天寿を全うしたんです。

ココ母は自分がうつ病になったばっかりに、ココを不幸にしたと思っていたので、
ご住職の言葉が胸に深く刻み込まれ、「ココの気持ち」に応えられるようにうつを克服しようとしましたが、
やはり無理でした。

それからもあが、そしてさらが家族になりましたが、ココ母は一進一退の状態が続き、
私は半ば諦めの心境になってきていました。
落ちている時は自殺する元気もないので、上向きな時だけ注意すれば何とかなるみたいな惰性というか、慣れというか、
うつも生活の一部になってしまって、死ななければいいじゃんと思うようになっていた時、転機が訪れました。

・・・続く

鼻血ブー [ココ父]

昨日、ジムで帰りが遅くなったので外食しました。

わたくしガテン系の仕事なので、昼食はどうしてもガッツリ食べてしまいます。
最近の定番とすればフルセット、すなわちフルラーメン、フルチャーハン、フル餃子。
どうみても食べ過ぎなのですが、お腹が空くのでどうしようもありません。

昼食がこんななので、夜はヘルシーにしようと思い、並うどんに鳥天で注文しました。
出来上がったうどんをすすっていましたら、右の鼻から鼻汁が垂れてきます。
子供じゃあるまいし、かっこ悪いな~とティッシュで拭いましたら、鼻汁ではなく鼻血でした。

わたくし性格は小心者なのですが、鼻血の出し方はダイナミックなんです。
タラタラといった風ではなく、まさには「鼻血ブー」といった形容がふさわしく、
出血に弱い人は、その様を見ていると失神しちゃうかもしれません。

わたくしは昔からこうなので気にしていないのですが、
ココ母がその鼻血ショーを初めて見た時、あんた病気?と聞かれました。
昔から血小板は少ないのですが、ギリギリ基準値なので大丈夫です。

思い起こせば、興奮すると出やすい傾向があり、幼少の頃は電車を見るとブーしてました。
中学生の時は、修学旅行の最初の晩に女子が部屋に来て、
特に何があった訳ではないのですが、興奮してブーしました。
この時のブーは重傷で、わたくしは旅行中出血が止まらず。
記念の写真は全て鼻に脱脂綿が突っ込んであるものでした。

今の状態で考えてみれば、うちの陸上部のメンバーは超美人のmymさん、超可愛いtocko、
超ナイスバデイの巨乳、超色っぽいmykちゃん、
そしてミセスパーフェクトのココ母、こんな強力なメンバーがセクシーなウェアを身にまとい、
苦悶の表情を浮かべているのを見ましたら、

・・・・・たまりません。

この状況では鼻血ブーとなるのも納得がいきます。

レースまであと1週間、毎日ブーブーしていたら、貧血になって走れないかもしれません。
しょうがないので、レバーでも食べますか!
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貧血でも何でもいいから、おかあさんをフォローして下さい!・・・もあ

レバーでもすっぽんでも食べなちゃい!・・・さら

しょうもないおっさんだな~・・・しん・ひま・ちょこ・かか

そうっすね・・・わたくし

あがく [ココ父]

日曜日に、元ダイナーのmykちゃんと彼氏のyuyくんとジムで汗を流しました。
mykちゃんは3月のレースに出走しますので、自動的に陸上部加入です。
yuyくんは男子ですので、部の規則では入部は認められないのですが、
とても真面目で誠実な男子で、しかも足が素晴らしく早い!!
逆に頭を下げて陸上部に加入してもらいました。
そうとなったら歓迎会です。いつもの焼き鳥屋さんで楽しい宴を過ごしました。

火曜日、巨乳がジム友になりました。
彼女はジム初経験なので、インストラクターの方に説明を受けました。
一通り説明が終わり、私と巨乳はランニングを始めたのですが、
何人か隔てたマシーンに、周囲の人達とは明らかに雰囲気の違う女子達が走っております。
何なんだ!この鬼気迫る雰囲気はと見ましたら、
ココ母とtockoが、箱根駅伝のラスト1kmのランナーみたいに必死に走っております。
元々、tockoの走るレースは3月なので、そこまで必死に走らなくてもと思いましたが、
ココ母が切羽詰まってますので、付き合ってくれているのかなと思い、有難くて鼻水が出ました。
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2人に負けじと足をけっぱる、もあ

大体、筋トレ中心の人は苦悶の表情をしている事がありますが、
一般的にはスタジオで汗をさわやかに流し、楽しそうに笑っている人達が主流です。
その中で部活動でもないのに自分を追い込んでいる2人を見ていて、
あらためて根性あるな~と素直に感じました。

ココ母は今回10kmのレースにある強い思いをもって出走します。
正直、今の彼女のレベルで完走するのは厳しいところがありますが、
どうしても、完走したい気持ちが強いので、以前、どうしたら走り切れるかと尋ねられました。
私は練習でどれだけあがいたかが本番に反映されると答えました。
あがく」というのはあまりいい言葉ではないかもしれませんし、怪我をしないのが前提ですが、
日々の練習の中で、限界まで自分を追い込み、あがき苦しんでもメニューを消化し、
それを一日ずつ積み重ねて、やっと目的を達成する事が出来るんだと思います。

話は変わりますが、うちの陸上部は超美人、超可愛い、超ナイスバデイのおねえちゃんで占められています。
よく、これだけ粒揃いのおねえちゃんが揃ったなと、改めて感動している今日この頃ですが、
超美人、超可愛い、超ナイスバデイのおねえちゃん達が真剣に練習をしている様を見ていると、
部長として指導に力が入ります。
しかし、スパルタ教育では良くないので、厳しい練習の中でもリラックスする時間が必要かと思い、
水着で混浴家族風呂を再度提案したのですが、反発どころか無視されました。

・・・・・もう少し肩の力を抜いてもらいたいもんです。

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超2枚目のもあ
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超可愛いさら


応援 [ココ父]

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↑今年も可愛い、もあとさら

昨日、現場でにいちゃんずと一服していた時の事です。

「あの~、姉さん(ココ母)のレースって今月ですよね?」にいちゃんA

「おう!23日の日曜日だから、「応援」してくれよな」わたくし

「会場には行けませんが、完走される事を祈っていまっす!」にいちゃんB

「は~っっ!、お前ら若い頃から姉さんにはえらく世話になっているよな(怒)」わたくし

「はいっす!!」にいちゃんABC

「今回のレースが姉さんにとって、どれだけ大事だってのも分かっているよな(怒)」わたくし

「十分、分かっていまっすっす!!(汗)」にいちゃんA

「あのよ、まだ付き合いの短いおねえちゃんず達も応援しにきてくれるんだよ(怒)」わたくし

「姉さんの仁徳っす!」にいちゃんC

「それなのに、はるかに付き合いの長いお前らが来ないつうのは、どういう事だ!!(怒)(怒)(怒)」わたくし

「でも、その日は仕事が入っているんですっす!(汗)(汗)」にいちゃんB

「誰の仕事だ(怒)、そんなのキャンセルしろ!!」わたくし

「恐れながら、御大様(わたくし)からのありがたい仕事っす!」にいちゃんA

「あれ?、仕事入れてたっけ?俺もレースに出るから行けねえけど」わたくし

「分かっておりますっす、御大様の顔を潰さないよう、命を懸けて務めさせて頂きますっす!」にいちゃんB

「そうか、お前らいいとこあんじゃねえか!」わたくし

「もったいなくも有難いお言葉、身に余る光栄っす!(喜)」にいちゃんC

「よっしゃ!、ココ母が無事完走したら、クラブに連れてってやっからよ」わたくし

「ごっさんっす!(喜)(喜)」にいちゃんABC

年も明け、ココ母にとって運命のレースまで2週間あまりとなってしまいました。
わたくしはクラブ活動も自粛し、ココ母の練習に付きっきりの毎日です。
日々の練習はきついですが、一緒に練習してくれてきたジム友達のおかげでここまで来ました。
本番まであと少し、頑張りま~す!

ドボンで生き別れ [ココ父]

12月も終盤になり、日々慌ただしい生活を送っています。
例年ならば、仕事だけで手一杯なので、おとなしくしているのが普通だったのですが、
しか~し、今年のわたくしは異常な位元気なので、精力的に活動しています。
朝4時半起床→メールの返事→朝食の準備→仕事→散歩→ジム→クラブ活動→就寝
といったスタイルが日課です。

先週、クラブのおねえちゃんと同伴で焼肉屋さんに行きました。
いろんな話をしながら、生中をガンガン飲み、そのままクラブに一緒に出勤します。
さすがにこのシーズンはメチャ混みで、お酒のせいか人の熱気のせいか、
グルグル酔っぱらってしまいました。
途中、トイレに行きたくなり便器に座ろうとしましたら、
おしりのポッケに入れていた携帯をドボンしてしまい、慌てて取り上げ、拭いたのですが、
携帯がヤバイ状況になってしまいました。

一瞬、いろんな事を考えたのですが、間違いなくココ母に怒られると思い、
トイレを出て席に戻っても何事もなかったような顔をしていましたところ、
お店の中で知り合いに会ったので、次、行こうとなり違うクラブに行きドンチャンし、
携帯の事はすっかり忘れ騒いでいました。

帰宅してから油断して携帯ドボンしたんだよね~♪と口をすべらせましたら、
ココ母が鬼のような形相になり、携帯を分解しつつ、わたくしをののしります。
あまりにも怒られるので、
「座り小便をしろといったのはお前じゃん!!」と開き直りましたら、
「クソして寝ろ!!」と言われましたので、スヤスヤ寝てしまいました。

朝、起きて携帯をいじったのですが、やはりダメな状態です。
起きてきたココ母が妙に嬉しそうな顔をして、
「携帯ダメだね~♪、これじゃおねえちゃん達と連絡とれないね~」と言いました。
ここで正気に戻ったわたくし、確かに住所録が見れません。
仕事先や共通の友人はココ母の携帯に入っているのですが、
わたくしが時間をかけてお友達になったおねえちゃんは、わたくしの携帯にしか入っていません。

仕事帰りに携帯ショップに急行し、お店の人に見せましたら、
ここでは修復不可能ですと言われ、ショックを受けました。
結局、メーカー修理に出すことになったのですが、データーが全部ダメな場合もありますとの事、
肩を落とし帰宅致しました。
ココ母が「あんた、おねえちゃん達と生き別れだね~~~♪」と意地の悪い顔をして言いやがります。
確かに「ドボンで生き別れ」では泣いても泣ききれません。
運を天に任し、ショップからの連絡を待っていましたら、直りました!!と吉報です。
データーは全て無事で、ホッと致しました。
早速、バックアップをとり、おねえちゃん達に今回の事をメールしましたら、
大変だったね~とみんな心配してくれました。ココ母とはえらい違いです。

今回の事件で学んだ事は、
1.座り小便はしない!!
2.住所録はバックアップをとる!!
という2つです。

それだけでは不安なので、おねえちゃん達の連絡先をココ母の携帯に入れときました。
これで、万全ですね???

みんなの顔 [ココ父]

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昨晩、クラブVのM支配人の誕生日を祝う会に参加してまいりました。
元々、お店の人達だけで祝うはずだったらしいのですが、
サプライズとして参加して頂けませんかとsgrからお誘いをうけたので、
それも、いいな~と思い快諾致しました。

当日、会場のお店に早く到着しちゃいましたので、とりあえず生中です。
程なくして、sgrとsgrママが来ました。sgrママが来るとは知りませんでしたし、
お久し振りの再会に話が弾みます。
主役が来ないので、とっとと始めちゃおうと乾杯していましたら、tnkとonoが来ました。
なんだかんだしていましたら、M支配人の登場です。
全員揃いましたので、誕生日おめでと~!!と乾杯をし、ワイワイガヤガヤが始まりました。
M支配人に俺達がいると思わなかっただろうと尋ねましたら、
いや~、何となくいらっしゃるような気がしましたと答えましたので、
な~んだ、サプライズ失敗じゃんと笑って話をしていましたら、
そろそろ、始めましょうかとsgrが言います。
野球拳でもするのかと思っていましたら、
ココ父さんお誕生日おめでとうございます。とみんなが言い、
花束とかプレゼントを次々とくれるではありませんか!!
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実はわたくしの誕生日は今月の後半にあるのですが、例年仕事がつまっており、
ひっそりとケーキとお酒みたいな感じでした。
みんなにはわたくしの誕生日会はなしと伝えてありましたので、余計ビックリです。
ココ母もさぞや驚いたのではないかと顔を見ましたら、
してやったりの表情でしたので、黒幕か~と聞きましたら、
sgrからクラブVのみんなが是非お祝いしたいのでと話があり、
着々とサプライズ計画を進めていたそうです。
わたくしは結構勘が鋭い方なのですが、まったく気づきませんでした。

プレゼントを考えている顔、手作りケーキを作っている顔、サプライズ計画を打ち合わせている顔、
その時の各々『みんなの顔』が浮かんできて泣きそうになりました。

そもそも、私達とみんなの付き合いはお店のスタッフとお客というのが始まりです。
お店に伺うたびに段々親しくなり、プライベートでもお付き合いするようになってきました。
お店のみんなはココ母のうつを理解してくれ、接してくれています。
その事が私達夫婦にとってどれだけ有難く励まされた事か、
改めてクラブVのみなさんが人として優しく素晴らしい人格の持ち主だと実感し、とても有難いなと思います。
まして、わたくしはセクハラ軽薄親父で有名ですので、
そんな男にこんなに心のこもったお祝いをしてくれた事が嬉しくて嬉しくて、生きててよかったと思いました。

しかし、サプライズもこう続くと次のハードルが高くなってしまい、困ってしまいます。
1年中計画を練って過ごそうかな♪

注射 [ココ母]

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紅葉も終わり、1月のレースに向け高揚し、練習に励んでいたココ母が故障してしまいました。
どこを痛めたかというと右ひざの靭帯と持病の椎間板ヘルニアの悪化です。
すぐに整形外科に行きましたら、右ひざは軽症で1週間もすれば走れる程度だったのですが、
問題は腰の方であまりかんばしくありません。

ココ母は何としても完走したい思いが強いので、正直ショックを受けていました。
とはいっても今無理をしたら、レースに参加すら出来ないので、
しばらく辛抱するしかないとなだめておりまして、そんな話をsgrにしましたら、
彼女自身通院してる整形外科を強く勧められました。
どこの病院に行っても変わらないだろうと思って話を聞いていましたら、
その病院はプラセンタ『注射』をするそうなのです。プラセンタという単語は聞いた事がありますが、
しょせん美容の類で痛みには関係ないじゃんと尋ねましたら、
sgr自身痛みのある部分が軽減されたと言います。
最近調子が悪かった彼女ですが、確かに注射をした後と前では見るからに違いが分かりましたので、
いっちょ、行ってみる~てな感じでsgrと共にココ母は病院に行きました。
先生の話をよく聞き症状を話したところ、こうなんじゃないと言われた事に納得したココ母。
何本か注射を打ってもらいました。

ダイナーで2人と待ち合わせをしたわたくしに、興奮状態のココ母とsgrがまくしたてます。
右膝は痛みがまったく無くなり、腰も激痛から違和感程度になったそうで、
注射の効果にびっくりしているココ母。
それに先月50歳になった彼女は、加齢による肌の衰えに投げやりだったのですが、
顔が違うと騒ぐので、そんな訳ないだろうと顔をまじまじと見ましたら、
確かにハリが違うしシワが薄くなっています。
すごい効果だけど高かったんじゃないと聞きましたら、健康保険がきくから高くないよとの事です。

基本的に疑り深いわたくしなので、一晩たったら効果が消えてるかもと思い、
翌朝のココ母を観察する事にしました。
朝は極端に弱い彼女ですが、不思議な事に一発で起きてきまして、膝と腰どうよと尋ねましたら、
昨日よりも良くなっているとの答えです。
恐ろしい事に顔も昨晩よりハリが出てきまして、これは本物だと確信しました。
先生の勧めもあり、1週間は負荷を掛けない練習にしますが、
ココ母の気持ちが折れなくて良かったと思います。

てゆうか、美容にきくのも大事なポイントらしく、しばらくsgrと通院するそうです。
何にしても前向きになるんでしたら大歓迎ですので、通院でも何でもして下さいと思いました。
でも、これだけ効果があるのが実証できたのでわたくしも注射してみようかと、
密かに思っているしだいです。

ココ母の誕生日(ダイナー編) [家族]

昨日、21日はココ母とココの誕生日です。
ココは生きていれば、18歳でした。でも、私達の心の中では生きていますので、
もあ・さらも含め、みんなでお祝いしました。
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そして夜になり、いつも行くダイナーさんで誕生&結婚記念日(22日)パーティを開きました。
最初にお店のスーさん、けい子さん、みゆきちゃんからお祝いの言葉を頂きました。嬉しいな~。
メンバーは先着順で、わん友の巨乳、セクシーダイナマイトのtmkとmyk、ジム友のtocko、
ゴージャスsgr、わが子みたいなtnkです。

今回は先日のクラブ編みたいなサプライズは何もないので、
ひたすら楽しく飲もう!という感じで、スタートです。
お店のスーさんからシャンパンのプレゼントをして頂きました。スーさんありがとう!!
sgrとtnkは仕事の都合で後程~と連絡をもらっていたので、とりあえず乾杯!!です。
みんなから、花束とプレゼントを頂いてココ母は感激しきりです。
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わたくしは綺麗どころに囲まれて、ハーレムみたいな錯覚すら覚え、
危うくココ母の誕生日という事を忘れそうになりました。
しばらくして、sgrとtnkが到着しましたので改めて乾杯!!をしました。
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その頃にはかなり酔ってきましたが、超楽しいのでお酒が進みます。
ここで、スーさん渾身の作品のケーキ登場で、一気に盛り上がりました。
美味しかった~。
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昨年はsgrと考え抜いてサプライズで石を贈り、成功したのですが、
今回は石を買うなとココ母に言われてましたので、困っていました。
ただ、以前にルースで何個か石を買っていたのがありまして、それを加工するのなら、
問題なかろうと思い、ココ母の目を盗みsgrに協力してもらってネックレスにしました。
それをサプライズで贈りましたら、予想していなかったココ母はびっくりしていましたが、
喜んでくれたので大成功です。
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これで、任務終了と思いガンガンお酒を飲んでいましたら、
sgrとtnkがもう一つプレゼントと言って寄せ書きをくれました。
その寄せ書きはクラブVのメンバーと関係者から、誕生日と結婚記念日をお祝いする言葉が綴られていまして、
1人1人の顔を思い浮かべながら読んでいましたら、ジーンとして感激してしまい涙がこぼれてきました。
わたくしは言葉に弱いところがあると、日々、公言していましたので、そこんところを責められてしまい、
やられてしまいました。でも、とても嬉しかったです。
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楽しい時間はあっというまに過ぎ、パーティもお開きです。
みんなで記念撮影をしました。
みんな、参加してくれてありがとう!
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そして、スーさんを始めお店の皆様、ありがとうございましたm(__)m

ココ母は長い間、笑う事が出来ませんでした。
でも、みんなと話をしながら笑っている顔を見ていて、
本当の笑顔を取り戻してきたなと実感します。

7年間うつ状態のココ母のそばにいて、正直言うと私は疲れていました。
良くなったかと思うとまた戻る、そんな繰り返しの中で、
こういう状態が一生続くのだろかとも思っていましたし、
一番辛いココ母の為に何も出来ない自分が不甲斐なくて情けなくて、
自分自身が嫌になっていたのも事実です。
でも、何とかしたいと思い、この数年、積極的に人と関わろうとしてきました。
はたから見れば、いい年こいた親父が、おねえちゃんに声をかけまくっているとしか見えなかったでしょうが、
自分自身では限界を感じていたのも事実でしたし、なんとか光を見つけたい一心でした事でした。

出会った人、全てではありませんが、ココ母のうつを理解し、励ましてくれ、
力になってくれる人が1人ずつでき、その人達と接するうちにココ母が変化してきました。
以前は人と会うと疲れきっていたのが、今は楽しそうに話をし、
輝くような笑顔を見せるようになってきています。
あらためて、人の力って大きいと思いますし、私達を理解し救ってくれた友達に感謝するばかりです。

推測でものは言えませんが、来年1月にココ母は10kmのレースに出場します。
私は彼女がゴールした時に必ず心の何かが変化すると思っていますし、
そして、それが長いうつの日々から彼女が解放される瞬間になると確信しています。
その日を迎える事ができたら、今回参加してくれた友達、そうでない友達も一緒に、
ココ母をねぎらいたいと思っています。

事前に素敵なプレゼントを届けにきてくれたウッシーとうしみわちゃん、
ありがとう!今度飲もうね♪

最後に一番メールをくれたパニ子、ありがとう!
いつか、会える日を楽しみにしているね♪

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