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メダルの重さ(ココの気持ち) [走る]

ココ母の様子が変になってきたのが7年前の秋でした。
症状的には、いくら寝ても寝足りないというか、昼間も夜も一日中寝ているんです。
最初は主婦湿疹で処方されている薬の副作用で、起きていてもボーとしているのだと思っていました。
しかし、薬を止めても症状は改善されるどころかひどくなる一方で、
彼女は家事が段々出来なくなってきたんです。
私は無知だったばかりに、彼女の事をやる気のない奴と思ってしまい、怒ったり責めたりしました。

しかし、ある日の夕方家に帰ったら、真っ暗なリビングの中で彼女が表情のない顔をして、
座っている姿を見た時、これは尋常ではないと初めて気がついたんです。
そこで自分なりに色々調べて、彼女がうつ状態だと確信しました。
正直、うつ病という名前は知っていましたが、大した知識もなく、
単に、落ち込みの程度が、激しいバージョン位の認識だったのですが、
目の前にいる彼女は、そんな誤った認識が吹っ飛ぶ位の状態でした。

私は精神科に行こうと何度も勧めたのですが、彼女は病院にはどうしても行きません。
そして、何の手も打てないまま日々が過ぎて行きました。
そのうち、ココ母は不眠症になってしまい、ますますボロボロになっていったんです。
それでもココの散歩だけは、やめませんでした。ただ、人の言葉に敏感になっていたので、
散歩で人と会って話をして帰ってくると、ものすごく疲れてしまい、
ぐったり横たわって何も出来ず。
彼女はそんな自分に嫌気がさして、死にたいと口走る様になりました。

私の祖母は弟を自殺で失いました。私は小さい頃からそんな祖母の後悔と懺悔を聞かされていたので、自殺というのはその本人も残された遺族も、とても辛く悲しい事なんだと深く心に刻んでいたんです。
私はココ母がうつ病になったのは自分の責任だと思っていましたし、その上自殺させてしまったら、死んでも死にきれないと思いました。

それまで仕事の都合もあり、ココの散歩はココ母に任せていたのですが、
散歩に間に合うような仕事にシフトするようにし、極力一人で散歩させないようにしました。
ただ、それだけでうつ病が良くなる訳ではなく、精神状態は上がったり下がったりの繰り返しで、このまま、一生治らないのではないか?と私は思うようになってきたんです。

そんな中、義母が倒れ、家族で懸命に看病したのですが、一月後に亡くなりました。
ココ母と義母は姉妹のように仲が良かったので、もうダメだと思ったのですが、彼女は持ちこたえました。
しかし、持ちこたえはしましたが、良くなる訳ではなく、その2年後にココが亡くなった時は、完全にダメだと思いました。

義母のお葬式に来て下さったご住職に、ココのお葬式を取り仕切っていただきました。

その時ご住職が、
ココちゃんはお母様より先に亡くなるはずだったんですよ。

でもね、ココ母さんがお母様を亡くされた悲しみが少しでも癒えるまで、

ココちゃんは寿命を超えて頑張って生きたんですよ。

ココちゃんをほめてあげて下さい、

そして、気持ちに応えて上げて下さいと言われました。

・・・その言葉を聞いて私達は声をあげて泣きました。

ココが7歳で水頭症を発症した時、正直、長くは生きられないだろうと思っていたのですが、
ココは頑張って15歳近くまで生きてくれました。
ご住職のお話が真実なのかは分かりません。でも、晩年目が見えなくなり、片足が不自由になり、それでも、ココは懸命に生きていました。そして2.6キロあった体重が1.2キロになっても、最期の最期まで命の灯を燃やし続け、天寿を全うしたんです。

ココ母は自分がうつ病になったばっかりに、ココを不幸にしたと思っていたので、
ご住職の言葉が胸に深く刻み込まれ、「ココの気持ち」に応えられるようにうつを克服しようとしましたが、
やはり無理でした。

それからもあが、そしてさらが家族になりましたが、ココ母は一進一退の状態が続き、
私は半ば諦めの心境になってきていました。
落ちている時は自殺する元気もないので、上向きな時だけ注意すれば何とかなるみたいな惰性というか、慣れというか、
うつも生活の一部になってしまって、死ななければいいじゃんと思うようになっていた時、転機が訪れました。

・・・続く
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