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不安と希望 [走る]

この数か月、不安感に襲われています。
誰しも、不安感を持たない人はいないと思いますし、
私もそれなりにその感情と向き合ってきたつもりだったのですが、
かなりキツイです。
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仕事に没頭していたり、人と話をしている時はいいのですが、
一人になって色々考えると、私にとって初めての経験なんですが、
身体が重く感じたり、両手がしびれるような感覚が襲ってきます。
そういった事が頻繁に起きるようになってきたので、
自分なりに、不安感を遮断するようにしてきたのですが、
あまりうまくいきませんでした。

本来ならばココ母に話をすれば、気も楽になるのではないかと思ったのですが、
良くなってきたとは言っても、それがきっかけとなってうつが悪くなるのではないかと思うと、
彼女には言えませんでした。
ただ、そうは思っていても自分の辛さは無くなるどころか、余計ひどくなってきました。
夜中に急に起きたかと思うと、ものすごく怖くなり胸が締め付けられるようになったり、
動悸が激しくなったり、もう、ココ母に隠すのは無理だなと思いました。

彼女に全て話しました。
私の話を静かに聞いていた彼女は、一言。
「大丈夫だよ。私がついているから」と言ってくれました。
別にその一言で、全てが払しょくされる訳ではありませんが、
私にとってその一言は、不安に苛まれている心の中に少しの安心感を生んでくれました。

私の今の状態が、うつなのか他のものなのかは分かりません。
ただ、こういった症状が、うつ、パニック障害でも起きる事があるとは認識しています。
そして、そこで改めて感じたのが、こんなに辛い状態を7年間もココ母が過ごしてきたという事です。
私なりに、ココ母の辛さは分かっていて接してきたつもりでしたが、それは錯覚でした。
当事者の辛さは、そばにいる人間にも分からないし、その辛さは想像以上のものなんだなという事です。
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こんな状態ですので、11月3日に向けての練習が出来ていません。
それに、今回、様々な理由があって走るのはココ母と私だけです。
正直、頭では分かっているのですが、寂しい気持ちは拭えません。
何か目標を失ったような、糸の切れた凧みたいな感じがしていました。
そんな私の現状を知っている友達が、来週から練習をしようと言ってくれました。

・・・嬉しかった。本当に嬉しかった。

不安を消し去るのには、希望を持つ事が大切だと思います。
しかし、心や体が動かなくてどうしても内向きな状態になってしまいます。
でも、怖くても辛くても前を向く事が最初の一歩になり、それが希望につながっていくのは間違いのない事です。
私にとって走る事は、ただのスポーツを越えた存在です。
走る事によって自分と向き合い、自信を持てたり、前に進む事が出来ました。

・・・私は今のままで人生を終えたくありません。

手足におもりをつけた状態での練習になると思いますが、
いつか必ず、希望を見いだせると思い走ってみます。

それが、明日につながると信じて。
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残すところ3週間 [走る]

湘南国際マラソンまで、「残すところ3週間」を切りました。
練習をしなくてはいけないと思いつつ、中々、ジムに足が向かなかったのですが、
意を決して13日、久々にジムに行きました。

ジムには、インストラクターの方達が沢山いるのですが、
その中で、会ったら挨拶だけではなく必ず話をする人が2人います。
話をすると言っても調子どうですか?といった類のものなのですが、
それはそれで、楽しいものです。

13日に行ったら、その2人がちょうどいました。
私達が、今日は~と普通に挨拶をしましたら、その2人が、
「ずっと、お見受けしなかったので心配していたんです。何かあったんではないかと?」
と言って下さったので、「いやいや、体調不良で来れなかったんです」と答えました。
それから、少し話をして私達は練習を始めたのですが、ちょっと意外でした。

大体、ジムの方達はこちらが尋ねてそれに答えるのが主流です。
スタジで同じ人に、習っていれば別ですが、私達はひたすら筋トレと走るだけなので、
あまり、記憶に残らないのではと思っていました。
そんな認識でしたので、心配をしていたとの言葉を聞いて、正直、嬉しかったんです。

人って、思っていても言葉で表現するのを、中々しないじゃないですか、
私は、言葉をかけてもらえるのが嬉しいので、自ら人様に対しては言葉を意識して表現しています。
ただ、親しい付き合いをしていても、その人の性格によっては、ノーリアクションかよ?
と言ったところがあります。その人の性格を熟知していればそんな事を思わないのですが、
何だかな~と思うのが多くあるし、そう感じる自分も嫌なので、考えないようにしています。

そんな折に、インストラクターの方達から暖かい言葉を掛けて下さったので、
意外だったのが大きかった分、感激したんです。
まあ、50歳の親父が泣く訳もいかないので、涙はこらえましたが、
ウルウルしてしまったのは事実です。

些細な事と言ったら、それでお終いですが、
今の私にとっては、いつも以上に、とても有難いし嬉しい事です。
あと、3週間でどこまで出来るか分かりませんが、
無理をせず、でも、後悔しないようにしてみようと思います。

頑張れ、自分!!


フラット(不安感) [走る]

11月3日の湘南国際マラソンまで、あと4日になりました。
練習期間が3週間とおっつけでしたが、完走出来るレベルまではもってこれたかなと思います。

今、あらためてレースを直前に控え思うところがあります。
今回、練習期間が3週間と短かったのには、私自身に問題がありました。

振り返ってみると、元はいつからかは分かりませんが、精神的な変調に気づいたのは2ヶ月前からです。
どんな変調かと言いますと、「不安感」が止めどもなく押し寄せてくるといった症状でした。

こんな時代ですから、誰しも少なからず漠然と不安感をもって生活していると思います。
自分も今までそうでしたが、それとは一線を画した、とてつもない不安感の連鎖に襲われたんです。
正直、戸惑いましたが、一時的なものと思い込むようにし、
寝て起きれば不安感が払しょくされているに違いないと、半ば根拠のない期待感をもったのですが、
朝、起きても良くなるどころか、ますます悪化していきました。

そんな日々がしばらく続いていたある日、
動悸が激しくなり、手が震えて止まらないといった症状を発症し、
これは真剣にまずいなと自覚したんです。

ココ母に話す事が出来れば楽になったのかも知れませんが、
かなり良くなってきたとは言え、私が抱えている問題を話す事によって、
彼女が7年間も苦しんだうつが再燃するのではないかと言う危惧をもち、
話す事が出来ませんでした。

そんな状態の日々が過ぎて行きましたが、症状は良くなりません。
それどころか人と話をしていないと、不安感を遮断する事が出来なくなってきたんです。
ただ、人と常に話をしているのは現実的に不可能な訳で、現場に車で一人で行く時、帰る時、
皆が寝静まっている夜中、早朝、人と話していない時間なんてかなりあります。

あまりにも症状が頻繁に出るので、本来ならば精神科に行けば良かったのですが、
私は愚かにも酒に救いを求めました。
酒を飲んで酔ってくると、気持ちが楽になり不安感が薄くなる気がしたんです。
私はいつもの量を越える飲み方を毎日しました。その酔っている時間が長ければ長い程、
気持ちが楽になるような気がしました。
ところが、そんな日常は長続きする訳もなく私は酒で体調を崩し、
その体調の悪さが不安感を倍増する事になってしまったんです。

・・・もう、限界でした。
心も体も悲鳴を上げたある日、私は全てをココ母に告白しました。

フラット(依存) [走る]

黙って私の話を聞いていたココ母は、
「うつになった私を長い間支えてくれたから、病気になったんだね」とポツリと言いました。
私はその事と今回の症状は関係がないと反論しましたら、
「どっちにせよ、大丈夫だよ。私がついてるから。根拠はないけど(笑)」と明るく言ってきました。

私自身は、彼女に話す事が出来て気持ちが楽になりましたが、症状は一向に良くなりません。
そんな私を気遣って、彼女はなるべく私を一人にしないようにし、
なおかつ無口なくせに、一生懸命話が途絶えないようにしてくれました。
彼女の気持ちが痛い程分かったので、何とかしようともがきましたが、
状態は泥沼にはまる一方で、こんな辛い状態が永遠に続くかと思うと、
自分自身が耐えられないのではないかと思いました。

ある日の夜中、急に私は目を覚ましました。当然、ココ母・もあ・さらは寝息を立てているのですが、
その状況に私は圧倒的な不安感にかられました。でも、寝ている皆を起こすのは辛いし、
そこで、私がとった行動は、寝ているココ母の背中にピッタリと頭をつけ、胎児のように丸まりました。
そうしたら、不思議な事に自分の心の中に安堵感が広がっていくのが実感できたんです。

しばらく、そんな日々を過ごしました。
ココ母は献身的に私を支えてくれたのですが、私の状態はどうしても良くなりません。
私が不安感と焦りに苛まされているのが分かったのでしょう。
彼女が、ゆっくり話をしてきました。

「あんたが何とか元気になろうとしているのはとても分かるよ。
 でも、無理な時は何をしても無理だよ。そんな時は我慢しないで私に依存しな。
 ただ、依存するだけでは、現状維持か悪化を防ぐだけだから、
 少しでも状態がいい時に失敗してもいいから、やりたい事、やれそうと思える事にチャレンジしてみなよ。
 仮に失敗したとしても、チャレンジした事が一歩前に進んだ事になるんだからさ」

うつで7年間苦しんできた彼女の言葉は、とても説得力のあるものでした。
その言葉を聞いて、自分自身が前に進むのに、何があるのだろうと思った時に、
浮かんだのが走る事でした。

湘南国際にエントリーはしていましたが、全く練習をしていない自分がそこにいたんです。
11月3日まで、もう一ヶ月を切っていましたが、
練習をする事が一歩前に進む事になるのではないかと思い、
久し振りにジムに行きました。


フラット(25年) [走る]

久し振りのジムでの練習は、当たり前ですがキツイものでした。
ところがキツイのはキツイのですが、不安感に襲われているより、
走っている方が楽に感じられたんです。

それに練習にすぎませんが、決めた距離を走り切る事により、
達成感というか爽快感を感じました。
それまで、一日中取りつかれていた不安感が、走っている間だけは消滅したんです。
ひょっとしたら、これを繰り返していけば、症状が改善されるのではないかと思い、
ひたすら練習に取り組みました。

私は自分の考えの中で決めた速度というものがあり、
それが達成できなければダメというのがあります。
確かに自分がこんな症状に襲われるまでは、そう思っていました。
でも、練習が出来るようになり、少しずつ症状が改善されてきた今、
走れるだけでもいいのではないかと思えるようになりました。

ココ母の「チャレンジした事が一歩前に進んだ事になる」の言葉がなければ、
ひょっとしたら、大会への参加を棄権したかもしれません。
でも、彼女の言葉に後押しされ、勇気を振り絞って練習を始め、
どんなかたちでもいいから、ゴールしたいと強く思えるようになりました。

ココ母のうつと7年間向き合い、支えてきたつもりでした。
ところが実際には、彼女の本当の苦しさを理解していなかったんです。
自分自身が不安神経症の症状みたいなものを経験して、あらためて痛感しました。
経験してみなければ分からないところが多いですし、想像なんてぶっ飛ぶ位辛いです。
それだけに、こういった病気で苦しんでいる人達に対して、
今まで私は分かった風な事を言って理解してるつもりでしたが、
何を言ってたんだかと思い、猛省をしています。

実は急ピッチな練習で、私は右脚の膝を痛めてしまいました。
どうせ、病院に行っても走る事を制止されるのが分かっているので行きません。
でも、悲壮感はありません。

あの不安感の事を考えると、怪我をして痛み止めを飲んでも、
走るという事の方が、どれだけましかと思っています。
大げさに思われるかもしれませんが、今回、自分自身でもがき苦しんだ事で、
何が人生の中で大切なものかと、おぼろげながら分かったような気がします。

湘南国際でのレースでココ母と一緒に走るのは、
今回が最後で次回は別々に走る事にしました。
それと実は、今月末で私達は結婚して「25年」を迎えます。
25年という歳月を、一緒に歩んできてくれたココ母と、
一つの節目として今までの人生を振り返りながらも、前を向いて走り、
手と手を携えながらゴールしたいと思っています。

今、私はとても「フラット」な気持ちです。
その気持ちのまま、11月3日、9時50分、
ココ母と共にスタートし、必ず2人でゴールしてきます。
ゴールの先に何が見えるか分かりません。
でも、どんな事でも素直に受け入れようと思っていますし、
それが次につながると信じています。

・・・行ってきます。


フラット(ウェーブ) [走る]

前回、湘南は走っているので妙な気負いもなく、朝目覚めました。
わざわざ、応援に来てくれるというので、sgrとmymさんと駅で待ち合わせをして、
会場を目指します。順調に到着し準備を始め、いい感じにアップでき、スタート地点へ、

スタート台には、徳光さん、はるな愛らがいてトークで盛り上げます。
そして、いよいよ9時50分号砲と共にスタートです。

今回、私のせいで練習開始が遅れ、ココ母を準備不足にしてしまいました。
それでも、彼女は前回を上回る1時間以内を目指していましたので、
何とか私は引っ張って記録を実現させてあげたいと思っていました。

キロ6分で走れば何とかなるので、最初の1キロを確認すると6分17秒でした。
2キロ手前に義父が応援に来てくれてましたので手を振ります。
微妙に速度を上げ2キロで時計を見ましたら、10分20秒台で今度は速すぎます。
ペースを守りながら3キロ、天気がいいので暑すぎます。
給水地点の3.3キロあたりからココ母がペースダウンしてきました。
励ましながら4キロ、そして5キロで31分台、まだ何とかなります。

しかし、あきらかに彼女の走りが辛そうなので、このままだと落ちると思い、
やたら声を掛けましたが返事をするのもきつそうです。
私はペースを上げようとして振り返ると、ココ母が離されていくので、
何度もムーンウォークのように後退し、彼女を励まします。
そんな感じで走っていましたら、彼女自身キツクて苦しい表情だったのですが、
私の励ましがあまりにもひんぱんだったもので、
声を掛ける度に「ウルサイ!!」と言わんばかりに眉間に深いシワを寄せます。

後でココ母に聞いたら、やはりそう思っていたみたいで、
「励まされたって速く走れねえんだよ(怒)」と心の中で怒鳴っていたそうです。
そんな事はつゆ知らず、私はこのままだと気持ちが折れてしまうと思い、
輪をかけて声を掛けました。
残り2キロ、速度を上げろ!!と言っても上がりません。
残り1キロ、ロングスパートと言ってもダメです。
最後のゴール前の坂で、ココ母は根性を出しスパートし、
2人で手をつなぎながら、ゴールしました。

目標の1時間以内は実現出来ませんでしたが、去年のグロス記録を上回り、
ココ母はよく頑張ったと思います。
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私は来年のこの大会でフルマラソンに挑戦するつもりなので、
ココ母と一緒に走るのは最後です。
走っている最中、声掛けが激しすぎて、嫌~な雰囲気にもなりましたが、
25年、泣いたり笑ったりケンカしたりしていた私達らしいかな?と思います。

それに、この大会でとても感動的な体験をしました。
私達の前にスタートしていた車いすの部10キロの人達が復路を帰ってきていたのですが、
ほとんど人達が戻ってきていて、最後の3人の方達が距離をあけて必死に走っていました。
私達のスタートと同時にその人達とすれ違ったのですが、
自然発生的に拍手とガンバレーの声が沸き起こったんです。
ウェーブ」のように前方から後方へ拍手と励ましの声が続いていくんです。

私達の部は5000人でしたので、数分その状態が続きました。
それはそれは、そこらへんでは味わえないようなとても感動的なシーンでした。
私はその場で拍手をしながら、物凄い感動をし涙が止まりませんでした。
人が人を応援するって、相手が一生懸命なのが分かるからこそ出来る訳で、
そういう時はやらせでも偽善でもなく、自然に心から応援できるんだなと感じます。

スタートの段階であまりにも感動的な場面に遭遇したので、
自分達の感動はアレッ?て感じになってしまいました(笑)

今回、私自身の失調でココ母に迷惑を掛けましたが、
彼女は練習不足にも関わらず去年のタイムを上回りました。
そして車いすの人達が止まりながらも前を向いて走ろうとする姿勢。
同じ空間にいた私がゴールして思った事は、思いっきり走りたいという気持ちでした。
ココ母のペースで走った事は後悔していませんし、
25年の節目の年に一緒に走れて良かったと思います。
それとは関係なく、いずれどこかの大会で、
その時出来る最大限の走りがしたいと素直に思いました。
こういう前向きな気持ちになれたのも、心配し応援して下さったみなさんのおかげだと思います。

本当にありがとうございました。

今月22日で私達は銀婚を迎えます。
これから先の人生も「ウェーブ」ではありませんが、いろんな事が押し寄せてくると思います。
昨日の激走で全身筋肉痛のココ母を後ろから見ていて、
自分はこの人と25年過ごしてこれて幸福だったなと感じました。

そして、これからも励ましあい、支えあい、時にはケンカもするでしょうが、
その全ての時間を大切にしていきたいと思います。
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励み [走る]

師走という言葉だけで、何だか慌ただしく感じますが、
毎日、休みなく働いておりました。
ただ、昨年とは違い、飲んだくれる事はほとんどせず。
仕事、家事、ジムといった生活をしているので、すこぶる体は快調です。

皆既月食の日、年越しランというジムの催しに参加してきました。
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初級、中級、上級と速度、距離別に分かれてグループ分けしたのですが、
私は上級のグループに入り、6キロを他の2人とインストラクターの方と走りました。
4キロを一緒に走り、残り2キロを自由に走ると言ったものなのですが、
残り2キロで1人、残り1キロでもう1人とスパートされ、あっというまに取り残されます。
今の自分の力は、まだまだだなと思いつつゴールしたのですが、不思議と悔しさは感じませんでした。

走り終わった後、みんなで宴会です。
走る事が好きという共通点があるせいか、ほとんど初対面の方達でしたが、
話も盛り上がり、楽しい宴を過ごしておりました。

そうしたら、メンバーの中の女性が、
実は様々な理由があって今月一杯でジムを辞めるのですが、
私は走る事が好きですし、同じ気持ちの方達とつながっていたいと話し始めました。
そうしたら、インストラクターの方が催しだけでも参加すればいいじゃないですかと、
言いました。その言葉を聞いて私達もそうですよ、ジムに戻るのは別にして、
催しで一緒に走りましょうよと声を掛けましたら、
その女性は、涙を浮かべながら、嬉しいです!みなさんとまた一緒に走るのを目標に、
毎日、頑張りますとおっしゃったので、私達も拍手でエールを贈りました。

その女性がジムを辞める理由はわかりませんが、
日々、生活をしていれば色んな事があって、何かを優先させたり犠牲にしなくてはいけなかったり、
変動というか全てがスムーズにはいかないものですよね。
当たり前と言ったら、元も子もないでしょうけど、
人って会わなくなると疎遠になっていきがちじゃあないですか。
でも、実際に会えなくても、また、みんなと走りたいという気持ちを言葉で表現してくれると、
全然、受け止め方が変わります。
やっぱり、自分も含めて、気持ちは表現しないとダメですね。

走る事は自分との闘いですので、スポーツの中でも個人競技の色合いが強いです。
でも、私もそうですが、走る事を通じて人とつながる事は嬉しいですし、
日々の練習の中でも「励み」になります。

学生生活をとうに終えた私にとって、部活の様な練習や形の中で走る事はないものでした。
が、しかし、ジムの催しという中で、同じような気持ちを持ち、走る事をしている方々に会う事が出来て、
遠い記憶の中にある部活での日々を思い出す事が出来ました。
学生の時とは違って、老若男女、様々な人達で走るといったものですが、
走る事が好きといった共通点だけで、共有意識を持てるのは嬉しいものです。

根性がなくて、すぐ理由をつけてジムをさぼりがちな私達ですが、
一生懸命、練習をしている人達を見習って、今度こそガンバロ!


淡々と [走る]

この一ヶ月、仕事→もさらの散歩→ジム→家事→睡眠といった生活を送っています。
昨年では考えられない健全な生活なので、最初は慣れるのに時間がかかりましたが、
意外に規則正しい生活もアリかなと感じています。
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ジムで走っていて、アレッ?と思う女性がいました。
若い人なんですが、女性が走る速度としてはかなりハイレベルで、
しかも、時間を見ると2時間走りっぱなしなんです。
走行距離として20km!
普通の外を走っても20kmというのは大変なのに、
ジムのマシーンでは、単調すぎて私なんかは1時間が精一杯です。
それを涼しい顔をして、ジムに来る度に「淡々と」走っているので、
とても興味がわき、声を掛けてみました。
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すると、受け答えがとても感じのいい女性で、
色々話をしたのですが、陸上経験は全くなく、ただ長い距離を走るのが好きなんですと、
ニッコリ笑って答えてくれました。
その笑顔があまりにも爽やかだったので、毎週夜、屋外で走るというサークルに誘ったら、
参加しま~すと来てくれました。
インストラクターのお兄さんは、私の性格をよくご存じなので、
可愛い女性をナンパしてきましたねと目配せをしてきましたが、
そんな不純な動機で誘ったのではないと一蹴しました(笑)

私の心の中で、走る事というのは、人生になぞらえているところがあります。
目標を決め、その為に日々練習をし自分を追い込んで、弱い自分を克服しようとしています。
日々の練習はキツイですが、目標を達成した時に感じられる感動と、
自分に負けないで努力を続けてきた事に対し、少しばかりの誇りを持てる事を糧に頑張っています。
大袈裟かもしれませんが、弱い自分に対する修行みたいな感覚かもしれません。
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そんな私なので、ただ走るのが好き!と言う女性に、マジかよ?と思ってしまい、
ただ好きなだけで毎回20kmは走れないだろう。
何か心の中に秘めた思いがあるに違いないと勝手に想像していましたら、
見事に裏切られました。
人から見て、そんなんで分かるの?と思われるかもしれませんが、
一緒に走ると分かるんですよね。
走っている時の顔、走り終わった時の顔、
その女性は嘘偽りがなく、本当に走るのが好きなんだなと確信しました。

果たして、今の自分はこんな気持ちで走っているのかと考えさせられました。
確かに、私のように自分を越える為に走るのだって悪い事ではないと思います。
ただ、いつか、心の底から走るのが楽しくてしょうがないといった感覚になれるのかと、
思うところはあります。

まだ、その境地には達する事は出来ないと思いますが、
いつか、そういう自分になってみたいな~と素直に思いました。
淡々と走る、そして淡々と生きる、やってみたいな~。
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・・・ちなみに22日、わたくし淡々と52歳になってしまいました。

象の足 [走る]

少し前の話になるのですが、ジムのサークルの初走りに参加しました。

4日までジムは休みだったので、5日からジムでの練習を始めたのですが、
休み明けの割には快調な走りが出来、ノルマの1日10~15kmも楽なので、
こりゃ~、フルマラソンも完走できるかも?なんて考えていました。

サークルの走りは、夜間走行なので気分が変わっていいじゃんと気持ちも明るく、
快調~♪と先頭を走っていて、1kmの折り返しをUターンした時に事故が起こったんです。

車道と歩道の間に縁石があるのですが、わたし、その縁石に気づかないで足を引っ掛けてしまいました。
当然ですが、そうなれば転ぶのは必然です。
悪い事に引っかかった左足首が、着地した際に思いっきりねじれてしまったんです。
そのまま道路に倒れ込み、すぐ立ち上がろうと足に力を入れた瞬間、激痛が走りました。
やっちまった~と思い、骨折か捻挫か?と自分なりに足首をさわり自己診断していましたら、
後続の人達が大丈夫ですかと駆け寄ってきました。

いや~、ただ転んだだけですから大丈夫です。気にしないで走って下さいと顔に冷や汗をかきながらも、
無理して笑顔を浮かべ、精一杯虚勢を張りました。
後続の人が来る度に同じ事を繰り返し、ビリを走っていたココ母の顔が見えた途端、
やべ~よ、だめかもしんないと初めて弱音を吐きました。
ココ母の伴走をしてくれていたインストラクターの方が、すぐジムに戻りましょうと仰ったので、
素直に従いました。

ジムに戻り、すぐアイシングとテーピングの応急処置をして頂きました。
自分のミスでこけたのに、迷惑をお掛けして申し訳ないの気持ちで一杯になったので丁重にお礼を言い
右足は無傷でしたので車を運転し帰宅し、とにかくアイシングをしました。

幸い、骨折ではないと判断できたので1週間くらいで治ればいいなと思い寝たのですが、
翌朝、痛くて立てません。それに足首を見たところ「象の足」みたいに腫れ上がってしまってるんです。
とはいっても、仕事はやらない訳にはいかないので、片足でピョンピョン跳ねながらこなしました。
なんやかやで仕事を片付け、自宅に帰宅しましたら象の足が超象の足になってしまい、
う~ん問題だなと思ったのですが、今月は1日も休めないので今日も仕事に行ってまいりました。

捻挫をして5日たった段階で、足首の状態は小象の足といった感じです。
全治1ヶ月なので、今月はまったく走れません。
2月はレースがないので助かりましたが、3月に訳あって無念を晴らしたいレースがあります。
どうしても走りたいので、今月は一切無理をするのをやめました。

年の初めから、こんな風になって落ち込むかなと思いましたが、
全くと言っていい程、落ち込みません。
それよりか、冷静な闘志がみなぎっている状態です。

負けるもんか!!


再開 [走る]

一ヶ月ぶりに練習を「再開」致しました。
正直、足の状態に一抹の不安はあったのですが、
そろそろ、走らなければという気持ちもあり、どうしようかな?と思っていた時、
ある女子から、練習は再開されていますか~というメールをもらいました。
それが、プレッシャーとなった訳ではありませんが、きっかけの一つになり、
久方振りにジムに行きました。

最初はウォーク、1キロ歩いたところで走り始め、ペースはキロ6分です。
足首の感触を確かめながらのランですが、正直怖い・・・
真っ直ぐに走る分には大丈夫なのですが、何かの拍子にひねったらと考えると、
どうしてもソロソロ走ってしまいます。

3キロ位と思っていたのですが、大丈夫そうなので5キロ走りました。
後半はペースを上げ、キロ5分半まで足首は大丈夫でしたので、
まあ、一ヶ月ぶりとしては上出来かな?と。
ただ、3月のレースではキロ4分台が目標なのですが、
正直、そこまでもっていけるかどうか?

どちらにしても、練習あるのみです!

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