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心の痛み [ココ父]

先日、Aさんという方と会いました。
その方は、ココ母と同じくうつ病です。一回、お会いした事はあるのですが、
残念ながら、あまり会話する時間がなく、今度、お会いしましょうと言って、
別れて以来、お会いする事が出来ませんでした。

先日、Aさんとメールのやりとりがあり、
私は出来たらお会いしませんかと誘いました。
Aさんは、かなり調子が良くなかったので、本来はそういった状態の時に人に会うのは、
本人にかなりの負担を強いる事になります。
ただ、私はそのタブーを破ってでも、会わなくてはいけないと思い、
無理を承知でお誘いしました。

Aさんは、私達と会ってくれました。
会話の中で、いろんな事を話しました。
Aさんに対する周囲からの偏見、誤解、そして人格の否定。
ココ母もキツイ日々を送っていましたが、Aさんのそれは凄まじいものでした。
その環境の中での孤独感を想像したら、怖くなる位のものです。

そういった環境で過ごしていると、自分自身がおかしいのではないかと思うとおっしゃっていました。
ココ母もよくそういう事を言っていましたが、それはまったくの間違いです。
外科的な病気、怪我、内科的な病気、何れも本人の人格は肯定されますが、
残念な事にうつ病は、名前自体は認知されてきましたが、
それが、どういったものか、まだまだ理解されているとは思えません。
そして、病気に対する無理解さが、結果的に本人の人格を否定する場合があります。

でも、考えてみて下さい。誰だって気分が落ち込んだりする事はありますよね。
だからといって、人格を否定されたらあなたはどういう気持ちになりますか?
うつ病の人は、性格が変化する訳ではありませんし、人格もそのままです。
ただ、気持ちが重くなるのが症例化するだけなんです。

Aさんがポツリと言いました。
今日、ココ父さんとココ母さんに会わなかったら、自分がダメになると思ったと。
その言葉を聞いて、Aさんが渾身の勇気を出して来て下さったんだと、胸が詰まる思いがしました。
何故、そこまでしたのか?
それは、ご家族の為なんです。

Aさんは考えていました。家族の為に早く良くなりたい。
でも、状況は悪くなる一方だし、こんなんだったら、
自分がいなくなる事で、家族を救う事ができるんじゃないか?と

その考えは肯定できませんでしたが、
改めて自分自身に置き換えた時、そこまで家族の事を思えるかと思いました。
だって、自分自身が病気でものすごく辛いのに、その事より家族の幸せを考えられますか?
残念ながら私は無理かもしれません。

うつで苦しんでいる人達に共通したところがあります。
それは、人に対してものすごく配慮するところです。
自分が「心の痛み」を知っているからこそ、人を傷つけたくないと思い、
発言、行動をとても思慮深く考えます。

私はAさんと向き合ってみて、とても立派な人だと思いました。
病気の辛さ、周囲からの無理解ゆえのプレッシャー、
それでも、家族の事を一番に考える勇気に敬意を感じました。

今、Aさんとご家族は、互いに手を携えて病気に立ち向かっています。
時間はかかるかもしれませんが、
いつかAさんとご家族が、心から笑いあえる時が来る事を望んで止みません。
そして、この病気で苦しんでいる人の立場に立って考える人が、
少しづつ増えてほしいと思います。

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