心の琴線 [ココ父]
2月のある日、車で移動中にFMを聴いていたら、
DJが車を運転中の方は安全な場所に車を停めて、今から流す曲を聴いて下さい。と話しました。
は~?と思い聞いていたら、要は泣ける曲なので、
運転しながら聴いていると危ないからという事なんです。
ありえな~いと思い、車を運転しながらその曲を聴き始めました。
曲名は『トイレの神様』歌っているのは植村花菜という人です。
タイトルも変だし、聞いた事のないアーティストだな~と思い、聴いていました。
淡々としたメロディで、おばあちゃんとの生活を綴るような歌詞なんですが、
なにげなく曲に引き込まれ、後半のある部分で信じられないのですが、涙がとめどなく流れ、
運転するのが危なくなり車を停めました。
なんの思い入れもなく曲を聴いていて泣けてしまったので、
これが、俗に言う『心の琴線』に触れたという事かなと思い、
帰宅してからCDショップに行って探したのですが、見つからず。
気にはなっていたのですが、そのままの状態でした。
先日、CDショップで見つけ、早速購入し聴いてみると、やはり同じところで涙がでてくるので、
一緒に聴いていたココ母に、なんでだろうと尋ねますと、
あんたの心の中の思い出に触れるんじゃないのと言われました。
この曲は、ある事情があって、おばあちゃんと暮らす主人公との生活が淡々と綴られ、
おばあちゃんとの永遠の別れ、そして感謝の気持ちと言った内容なんですが、
歌詞のなかに
ちゃんと育ててくれたのに
恩返しもしてないのに
いい孫じゃなかったのに
こんな私を
待っててくれたんやね
というフレーズがあります。
こうやって、文章にして読んでいてもなんともないのですが、
曲を最初から聴いていて、このフレーズにくると涙がでてしまいます。
自分がこうなる原因としては、父の事が大きいと思います。
父が亡くなってからもう9年経ちますが、今もって、後悔の気持ちと自責の念は消えません。
いまさら、どうしようもないのですが、払しょく出来ない自分自身がいます。
その気持ちとこの曲がリンクして、わたしの『心の琴線』に触れたのではないかと思います。
若い頃は恋愛に重ね合わせて音楽を聴いていたところもあるのですが、
自分が年をとってくると、大事な家族との別れと重なるようになりました。
私の父、義母、そしてココ。
・・・考えるだけでつらいです。
母、義父、もあ、さらがわたし達と家族で良かったと、思ってもらえるようにしなくちゃいけないんです。
親の事は子供として当たり前ですし、もあ・さらに至っては、わたし達がうちの子として迎えたのですから、
大きな責任があります。
自分の残された時間がどれだけあるか分かりません。
出来ればココ母を最後に送って、静かに自分の人生を終わらせたいのが理想です。
私は悪行の限りを尽くしてきたので、まだまだ試練が押し寄せてくるかもしれません。
最近、このような事ばかり考えています。若かった頃から思うと有り得ない状況です。
年をとるというのはこういう事なのか、それとも自分自信が弱っているのか、
答えはでませんが、今自分が折れる訳にはいきません。
長男として、もあ・さらの親として、そしてココ母の夫として、
自分が『最後の砦』でいなくてはいけないから・・・
DJが車を運転中の方は安全な場所に車を停めて、今から流す曲を聴いて下さい。と話しました。
は~?と思い聞いていたら、要は泣ける曲なので、
運転しながら聴いていると危ないからという事なんです。
ありえな~いと思い、車を運転しながらその曲を聴き始めました。
曲名は『トイレの神様』歌っているのは植村花菜という人です。
タイトルも変だし、聞いた事のないアーティストだな~と思い、聴いていました。
淡々としたメロディで、おばあちゃんとの生活を綴るような歌詞なんですが、
なにげなく曲に引き込まれ、後半のある部分で信じられないのですが、涙がとめどなく流れ、
運転するのが危なくなり車を停めました。
なんの思い入れもなく曲を聴いていて泣けてしまったので、
これが、俗に言う『心の琴線』に触れたという事かなと思い、
帰宅してからCDショップに行って探したのですが、見つからず。
気にはなっていたのですが、そのままの状態でした。
先日、CDショップで見つけ、早速購入し聴いてみると、やはり同じところで涙がでてくるので、
一緒に聴いていたココ母に、なんでだろうと尋ねますと、
あんたの心の中の思い出に触れるんじゃないのと言われました。
この曲は、ある事情があって、おばあちゃんと暮らす主人公との生活が淡々と綴られ、
おばあちゃんとの永遠の別れ、そして感謝の気持ちと言った内容なんですが、
歌詞のなかに
ちゃんと育ててくれたのに
恩返しもしてないのに
いい孫じゃなかったのに
こんな私を
待っててくれたんやね
というフレーズがあります。
こうやって、文章にして読んでいてもなんともないのですが、
曲を最初から聴いていて、このフレーズにくると涙がでてしまいます。
自分がこうなる原因としては、父の事が大きいと思います。
父が亡くなってからもう9年経ちますが、今もって、後悔の気持ちと自責の念は消えません。
いまさら、どうしようもないのですが、払しょく出来ない自分自身がいます。
その気持ちとこの曲がリンクして、わたしの『心の琴線』に触れたのではないかと思います。
若い頃は恋愛に重ね合わせて音楽を聴いていたところもあるのですが、
自分が年をとってくると、大事な家族との別れと重なるようになりました。
私の父、義母、そしてココ。
・・・考えるだけでつらいです。
母、義父、もあ、さらがわたし達と家族で良かったと、思ってもらえるようにしなくちゃいけないんです。
親の事は子供として当たり前ですし、もあ・さらに至っては、わたし達がうちの子として迎えたのですから、
大きな責任があります。
自分の残された時間がどれだけあるか分かりません。
出来ればココ母を最後に送って、静かに自分の人生を終わらせたいのが理想です。
私は悪行の限りを尽くしてきたので、まだまだ試練が押し寄せてくるかもしれません。
最近、このような事ばかり考えています。若かった頃から思うと有り得ない状況です。
年をとるというのはこういう事なのか、それとも自分自信が弱っているのか、
答えはでませんが、今自分が折れる訳にはいきません。
長男として、もあ・さらの親として、そしてココ母の夫として、
自分が『最後の砦』でいなくてはいけないから・・・
2010-04-28 10:46
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コメント(2)
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今晩は、今日は、お忙しい中・・・・スタッフの為に有難うございました。
Oスタッフも大変喜んでおり、彼女にとってこれから母として一つの大切な命を育てていくにあたって大きく成長する為に少しの間、お休みを頂きます。そんな彼女にとっても励みの贈りもです。本当にありがとうございました。
確かに、私もとしを重ねるに連れて、心が動くポイントが変わってきたと感じております。
家族との別れは本当に考えるのは、苦しくて嫌ですね。
そして、凄くふ両親の事が気になる時があります。年々、両親から頂く、励ましの言葉、アドバイスの言葉がとても力強く聞こえてなりません。
きっとそんな言葉を思い出しながら、ブログの曲聞いてしまったら、私もきっとグッとくるものがあるかもしれませんね。・・・・(UvU)
by sgr (2010-04-29 23:54)
sgrさん、おはようございます。
Oちゃんとは、しばらく会えなくなるので寂しいですが
新しい命を授かって、母になった彼女に再会するのを楽しみにしています。
よく、『親孝行したい時には親はなし』と言いますよね。
私もその典型で、父を亡くしてから痛切に感じるようになって・・・
今更、親孝行しようにもその対象がこの世にいないので、
どうしようもなく悩んでいましたら、ココ母が残された家族を大事にするのが、
父に対する最大の親孝行だと言ってくれて、心が救われ前を向いて歩けるようになりました。
仕事をしていると弱音を吐く事は出来ません。ある意味、虚像を保たなくてはいけない部分があり、
とても疲れる時があります。まして生活をしていると様々な事で悩み迷う事があります。
先日、ある人にその事を話しましたら、真剣に話を聞いて下さって、救われる言葉を掛けてくれました。
人ってありがたいですよね。
sgrさんも、コメントしにくい記事に、いつも書いてきてくれてありがとうございます。
とても感謝しています。今後もこのパターンは変わらないと思いますが、
よろしくお付き合いの程、お願いいたしますね(笑)
byココ父
by ココ母 (2010-04-30 05:27)