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32年目のゴール ・・・自信・・・ [走る]

小学5年生で、やっと自分を表現する術を知った私は、
中学に上がってからいろんな友達が出来るようになりました。
ところが、対人関係を作り上げるのがあまりにも未熟だったので、人とぶつかるようになり、
自我を主張しまくっていた私は、クラスのリーダーと争い、結果負けてクラス中の全員からシカトされました。
1年生の1学期はそんな状態が続き、夏休みというインターバルのおかげで助かったのですが、
2学期は逆転し今度は私がリーダーとなり、元リーダーを逆にシカトしました。
そんな不毛な争いの果てに、ある日、殴り合いのケンカになり、2人して2階の窓から転落しました。
どちらも大きな怪我はしなかったのですが、不思議なものでそれから彼と仲良くなり、
3学期はいつもつるんで遊んでいました。

そうやって、他人とぶつかったり、理解しあったりの繰り返しを行いながら、
相手の立場に立って物事を考える事の大事さを学んでいきました。

話は変わりますが、私の5歳上の姉は学業が大変優秀で、
高校時代は3年間主席で国立の大学に進学しました。
親は姉と私を比較する事は絶対にしなかったのですが、
子供が子供らしく親に甘える事を一切受け付けなかった父でしたので、
正直、私は父親の愛情を感じませんでした。
母親もそんな父の顔色を伺って常にビクビクしており、
家族が集う食事の時は、母が緊張のあまり失敗をすると父が大声で怒鳴る。
そんな食卓だったので、美味しさを感じている余裕もなく、楽しい食事をした記憶はありません。
おまけに、学問が優秀だった家系の中で私はさえない子供だったので、
教育者の親戚達からは、姉はいい子で私はダメな子という構図が出来上がっていて、
そんな親戚を憎んだ事もありました。

私はそれでも、それなりに楽しい中学生活を送っていたのですが、自分にこれといったものがなく、
基本的には自分に自信がない子供だったと思います。
通っていた中学には、年に1回、学年、男女別に行うマラソン大会という催しがあり、
私は1、2年生の時には、これといった成績を残せませんでしたが、
中学生活の最後の思い出に、いい成績を残したいと思い立ち、
友達と冬休みの間、毎朝練習をしてマラソン大会に挑みました。
私の学年には中体連でも優秀な成績を残すようなすごい奴が1人いて、
ぶっちぎりで走って行ったのですが、私は2位集団に入り耐えに耐えた結果、
2位でゴールする事ができました。

担任の先生とクラス中の友達から褒められ、
家に帰って父に『お前はやればできる子なんだ』と言われた時、
生まれて初めて父に褒めてもらい、認めてもらえた気がして私は号泣しました。
父が自分の事を見てくれていた事を実感し、自分は家族の中で孤独だと思っていたのですが、
そんな事はなかったと思い、とても嬉しかった・・・

普通は、親の愛情を感じて実感するという事は、
意識をしなくとも、生を受けたその時から、無意識の内に心の中にあり、
孤独を感じる事もない意識の外で、大きな愛に包まれてるのだと思います。
私の場合は、父に褒められたその時が、自分が存在していていいんだと初めて思えた瞬間でした。
小学校の5年間、辛い毎日を過ごし、絶望しないで生きていて良かったと思いました。
そして私は、何をやっても出来ない子ではなく、
努力をしなかったから出来なかったんだ!やれば出来るんだと思い、
初めて、自分に『自信』が持てるようになりました。


・・・続く・・・

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