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32年目のゴール ・・・おはし・・・ [走る]

とうとう、14日のロードレースまで1週間を切りました。
膝の故障も思わしくなく、それでも練習を続けている私に、たくさんの方が、今回は見送って
良くなってから参加すればいいじゃないかと、おっしゃってくれました。
心配して下さって本当に有難いと思いますが、何があっても14日は走るつもりでいます。
しかし、お気持ちを無視するような事になるのが心苦しいので、
何故、無理をするのか理由をお話します。

私は5歳以前の記憶が全くありません。
あまりにも昔の事なので、それも当然だと思っていたのですが、
ココ母を始めいろんな人に尋ねると結構皆さん記憶があるので、
何故、自分には記憶がないのかと謎の一つだったんです・・・
そこでひょっとしたら、この出来事が影響しているのかと考えるようになりました。

私の記憶の一番最初は5歳の幼稚園での出来事です。
お昼の時間になり、各自お弁当をひろげた時、私のお弁当に『おはし』がありませんでした。
今、思えば先生に言って、おはしを借りるとかすれば良かったのでしょうが、
それも出来ず、となりの友達のおはしを借りるのも悪いと思い、
借りる事も出来なかったので、私は止むを得ず、手でお弁当を食べていました。

その事に気付いた担任の女の先生がツカツカと寄って来て、いきなり烈火のごとく怒り出し、
私の首ねっこを捕まえて、黒板のところまで引きずっていき、
皆の前で、この子は手でお弁当を食べていると言い、
なんて汚い事をするのと私を責め立てました。
私は泣きじゃくりながら、ごめんなさい、ごめんなさい。と、繰り返していましたが、
先生の怒りは収まらず、泣いている私を引きずりながら他の全クラスを廻り、
皆の前で私をののしり責め立てました。
そこからは記憶が飛んでいて良く覚えていないのですが、
泣きじゃくりながら家に帰ったのだけを覚えています。

幼稚園でこういう事があったせいか分かりませんが、
小学生になった私は、いるかどうか分からない位、消極的な子供でした。
授業中は気配を消し、休み時間は友達もいなかったので、
うつむきながら、ひたすら時間が過ぎるのを待っているような毎日でした。
あの時代はイジメみたいなものはなかったので、そこは良かったのですが、
集団の中の孤独は子供心にもつらかったので、年の三分の一は学校を休みました。
今、思えば登校拒否児だったんですね。
ただ、症状も出ないのに休む訳にはいかないので、よく熱を出しました。
念じて熱をだすのだから、今思えばすごいなと思いますが、
よっぽど学校に行きたくなかったんだと思います。

そんな小学校生活が、5年生の時に激変しました。
担任の先生が私があまりにも消極的すぎたので、これはいかんと思い、
私を学芸会の主役に指名したのです。
消えていなくなりたいと思ったのですが、それも許されずひたすら練習を積み重ねました。
そして学芸会当日、舞台に立ちスポットライトを浴び最初のセリフを口にした時、
私の中で何かが弾けました。
頑なに心を閉ざして気配を消して生きてきた5年間、
その中でも心の奥底で『私はここにいるんだ!生きているんだ!』という叫びがあったんだと思います。
この出来事があってから、しだいに人としゃべれるようになり、友達も出来てきました。
遅ればせながら、小学1年生からのやり直しです。
そして、小学校を卒業し、私は中学校に進学しました。

・・・続く・・・

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