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ああ~、良かった! [家族]

昨日、義父の検査の結果を聞きに病院へ行って来ました。
事前にココ母と話をしていたのですが、診察室は狭いのでどちらが義父と一緒に先生の話しを聞くかとなり、
義理の息子の方が冷静に対処出来るだろうと、私が義父と同行する事になりました。

実家に行き、義父は普通に振る舞っていましたが、やはり緊張しているのは傍で見ていても感じ取れます。
車で病院まで行き、あとは呼ばれるのを待っていました。

ココ母がトイレに行っている間に、看護師さんから呼ばれたので義父と2人で診察室に入りました。
先生は開口一番、この前の結果にについてですがと話始めたので、固唾を飲んでいましたら、
病理検査の結果、悪性ではありませんとおっしゃいました。

ああ~、良かった!」と思い、義父を見ましたら、
今までの不安そうな顔が一変して明るくなっています。
その後は、今後の治療の方針とか先生と話合いまして、診察室を後にしました。

廊下にココ母がいましたので、セーフとジェスチャーをしましたらホッとしたような顔になりまして、
お父さん、良かったねと義父に声を掛けていました。

義父は心のつかえが取れたんでしょうね。デパートに行ってお弁当を買うと言いだしましたので、
車でデパートに乗っけて行きました。
海鮮ちらしの弁当が売っているお店に行ったら、義父がこれでいいか?と尋ねてくるんです。
てっきり、自分の夕飯を買うものだと思っていましたので、
うちは夕飯を用意しているからいいっすよと断りました。

そうしたら、仕事を休んで病院に行ってくれたんだから、せめてものお礼の気持ちだからと頑なです。
気持ちを無にしてもいけないので、ではと言いましたら,2個しか注文しないので、
お父さんの分はと聞きますと、自分の夕食は用意してあるからと言うので、
だったら、うちも要らないよと押し問答になりました。

義父は年金で生活をしています。義母が亡くなった時に同居しようと誘ったのですが、
感謝しながらも迷惑を掛けたくないと、一人暮らしを続けています。
正直、年金だけでは余裕のある生活は出来ていません。
でも、その中で切り詰めながら少しずつお金を貯め、今回のようにおごってくれます。

現役世代の人達からすれば、1個1350円の弁当なんて、ちょっと贅沢位で済むかもしれませんが、
限られた年金生活からすれば、大変な金額です。
私が、だったらこっちで払うからと言いましたら、ココ母が今回は受けろと目配せをしてくるので、
甘んじて、義父におごってもらいました。

うちの母もそうですが、親って共通して言えるのが、
子供に迷惑を掛けたくないと思っている事です。
ただ、私達からすれば、親の面倒を見るのは子供として当たり前の事じゃんと言っているのですが、
親からすれば、出来れば一切の迷惑を掛けたくないとの気持ちが強いんです。

夕飯でもらった海鮮ちらしを食べながら、もっと親孝行しなきゃいかんな~としみじみ思いました。
今、自分がここにいられるのは親が育ててくれたからな訳で、
自分達が忙しいからと、ついつい親の事をほったらかしますが、そんなのは言い訳にしかすぎません。
ちょっと、自己反省をしてしまいました。

まあ、でも結果が悪くなくて良かった!


消毒液との闘い [ココ父]

昨日、手術を受けてまいりました。
手術と言ったら大袈裟ですが、歯医者さんでインプラントを埋入する手術です。

私としたら、歯を抜く逆バージョンじゃん!と軽く考えていました。
ところが、いざ病院に行ってみましたら、先生もスタッフも気合が入っているんです。
鼻から酸素を入れるわ、指先にSPO2を挟むわ、心電図みたいなのでモニターするわで、
正に普通の外科手術と同じ態勢です。
それだけでも、緊張して血圧が上がるのが分かりました。

次に麻酔をするのですが、全然痛くなかったので油断しておりましたら、口の中を消毒する事になりました。
何か口の中をまんべんなく塗っているなと思っていましたら、
名前は分かりませんが、簡単に言えばヨードチンキみたいな奴です。
それを口の中に塗りまくるもんですから、苦いというか刺激が強いというか、かなりキツイんですよ。
しかも、唾液が出てくるもんですので、つい飲んでしまったら喉が焼けるような感じですし、
鼻に逆流したらツーンとするし、例えて言えばヨードチンキのプールで溺れて、
しこたま飲んだみたいな感じです。
そんなもんですから、手術そのものより「消毒液との闘い」に敗れ去ったと言った方がいいでしょう。
・・・グッタリしてしまいました。

手術が終わって先生から説明を受けている間も、喉は焼けるわ鼻はツーンとするわで、やってられません。
家に戻ってから、口の中がまずいのでアメを舐めたら異変を感じました。味覚を感じないんです。
麻酔はとうに切れているので、これは消毒液のせいだと思い、
しこたまアメを舐めたのですが、ダメなんです。

お腹は空いているのですが、こんなんじゃ何食っても美味しくないし、
お酒は今日1日飲むなと言われていたので、飲めないし、
しょうがないのでフテ寝をしていましたら、ココ母にヒマだったら床屋さんに行けばと言われ、
床屋さんに行って、事の顛末を喋くりまくり、あ~、スッキリしたので飯を食べたら、
やはり、味覚がないんです。
それでもお腹が空いていたので食べましたが、それ以上やる事がないので寝ました。

早く寝過ぎたので、夜中の12時を過ぎた頃に起きました。
今日1日は飲むなと言われていましたので、今日は昨日になったじゃんと勝手に解釈し、
お酒を飲みましたが、やはり味がありません。
でも、酔っぱらえばいいやと思い、軽く飲んで再び寝ました。
先程、起きてコーヒーを飲みましたが、超薄いアメリカンコーヒーみたいな感じで、
このまま、味覚を感じなかったらどうしようと危惧しております。

味がないって、本当に味気ないですね・・・

限りある時間 [家族]

昨日、11月22日で私達夫婦は銀婚を迎えました。
前日の21日はココ母の誕生日でしたので、友達のみなさんからWでお祝いを頂いて恐縮至極の極みです。

ひとえに25年といってもピンときませんが、あっという間だったな~と言うのが実感です。
元々、ココ母とは同じ高校で、私が17歳、ココ母が16歳の時から付き合い始めました。
という事は、結婚生活25年を含めて35年の月日が流れた事になります。

よく友達に、そんな長い間一緒で飽きないのかと無礼な質問をされる事がありますが、全くありません。
ココ母と出会った時、私はこの人と結婚したいと思いましたので、告白をしてOKの返事をもらった時はとても嬉しかったし、
10年後に結婚出来た時は、人生の目的を達成したような気がしたものです。
それから25年、いつも一緒に歩んできました。
その歳月の中で、お互い人間ですから、様々な衝突は沢山ありましたが、それでダメになる事はありませんでした。
まず、一緒にいたいから付き合って結婚した訳です。それが基本ですので、お互い年はとりましたが気持ちは全然変わりません。

よく長い間夫婦をしていると、空気のような存在だと言いますよね。
それは愛情が失せた訳ではなく、深い愛情の上にプラスされた人間関係の結果だと私は解釈しています。
元々、生まれも育ちも違う男と女が、生活を共にして何らかの違和感がない方が不思議です。
人と人ですから、相性がいいというのも大事なところだとは思いますが、
一番大切なのは、お互いに向き合う努力をしてきたかというところじゃないかと思っています。

友達でも言える事ですが、長く続く関係って、一方的にどちらかが無理をしていたりすると、うまくいかないですよね。
時と場合によって互いが助けあうのはアリだと思いますが、そうでないと難しいと思います。

ココ母のすごいところは、ブレなく人と向き合うところです。
それが、相手にとって必要な事だと思えば、嫌われてでも言う事はハッキリ言いますので、
疎遠になる人もいますが、そんな時ココ母は、今は私が言う事が不快に思えても、
いつか、私が言っていたのはこういう事だったんだと、気づいてくれたらいいと言うんです。

私みたいな根性の小さな男ですと、人には良く思われたいので、そういう方法はとりません。
相手が話しやすい状況を作り出し、その中で自分の伝えたい事をうまく言うようにしています。
そういう意味でココ母と私は性格が反対ですが、互いに向き合う事だけはやってきました。

若い時は自分の年齢が50歳を超えるなんて、遠い将来の事だと思っていましたし、時間は無限にあると考えていました。
ただ、実際にその年齢になってみて思う事は、一日一日を大切にしていきたいという事です。

分かり切った事ですが、何かなければ、もあ、さらの方が私達より先に逝きます。
命には限りがありますから、一緒にいられる時間は無限ではありません。
だからこそ、その「限りある時間」を大切にしたいし、2人の親として自分本位な生き方だけはしたくないです。
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そして、ココ母といられる時間も無限ではありません。
それに、私としての人生ってたった一回だけです。
その一回限りの人生を、私は好きな人と過ごす事が出来ています。
それは、私にとってとても幸福な事ですし、縁起ではありませんが、
今、私が急に死ぬような事があっても、幸せな人生だったと間違いなく言えます。
ただ、順番として、もあ、さらを虹の橋に旅立つのを見送り、
できれば、ココ母を見送る事が可能ならばそれが本望です。

私は彼女を一人っきりにしたくありません。

子供の出来なかった私達は、どちらかが一人で死んでいきます。

幸せは十分、彼女から貰いました。

日々、「限りある時間」を大切に生きながら、

その時が迎えられればと思っています。


偉大な存在 [家族]

昨日、検査入院していた義父が退院しました。
検査と言えども、全身麻酔の手術でしたので心配しましたが、
無事に意識を戻し、あとは結果待ちです。

その病院は義母が倒れた時に緊急手術をしてもらったところなので、
嫌でもその時の事を鮮明に思い出してしまいました。
そんな事もあったので、普通以上に気をやんでいましたが、
何事もなく、無時に家に帰ってこれたのでホッとしました。

入院中、とても考えさせれる事がありました。
当然、家族ですから毎日病院に行ったのですが、
仕事で疲れているのに大変だから来なくていいよとか、
早く帰ってお酒を飲んでくつろぎなよとか、
人の心配ばかりするんです。
本来ならば、心配される側であって心配する方ではないのに、
ありがとうと言いつつも、早く帰って体を休めなさいとか言うんですよ。

私の父が4ヶ月入院をして亡くなった時、
いろんな病室で、家族すら病院に来ない患者さんを沢山見ました。
うつろなそして寂しい目をしていたのを今でも思い出します。
様々な事情があるでしょうから、一概な事は言えませんが、
少しは病院に来てやれよと思った事は確かです。

そういう経験をしたからではありませんが、
私達は家族はもちろん、友達とかが入院した場合、可能な限り病院に行きます。
友人の場合は人によっては、毎日お見舞いに来るなよとかえって迷惑がる人もいましたが、
それは空気を読んでいくしかありません。

今回の義父の対応を見ていて、自分はこうでいられるかと考えました。
私自身、いろんな友達と付き合っている中で、自分が大変な時だけ人を頼ってきて、
こっちが大変な時はスルーというか知らんぷりかよ!と思う事が多々あります。
そういう時はこいつは友達ではなく、知人だと思う事にしているのですが、
やはり、イラッ!というか何だかな~と感じる事は多いです。

義父が私達に言った言葉や態度は、親という事もあるでしょうが、
自分の事よりも私達の事を心配するといったものでした。
今の私の人格で、そういった事が心の底から出来るものか、
とても考えさせられます。

親というのは「偉大な存在」ですね。

くの字と柿 [家族]

最近、遠出の仕事が連続していて、あまり運転が好きでない私は運転だけで疲れていました。
15日の早朝、気温も寒く嫌だな~と思いつつも現場に向かいます。

おおよそ、200キロ位走って車から降りようとしたら、腰に痛みを感じまっすぐ立てないんです。
あれ?と思い、体を伸ばそうとしても腰の痛みがひどく「くの字」の態勢でしか歩けません。
しばらくすると、まっすぐ歩けるのですが、しばらく座っていて立とうとするとやはりくの字です。
現場の仲間が「年ですね~」と冷やかしますが、痛みで反論すらできません。
仲間が痛み止めを持っていたので、何とか仕事をしてから運転をして帰る事に。。。

帰路の途中、SAでココ母にメールを送ろうとしたのですが、何度やっても出来ません。
試しにネットを閲覧しようとしてもダメです。
何だよ~、携帯まで壊れたかと思い電話をすると通話だけは出来るので、
近々に、携帯ショップで修理してもらうしかないな~と思いつつ、自宅にたどり着きました。

くの字で階段を上がって部屋に入ったら、ココ母がウンウン唸っています。
顔を見ると冷や汗をかいているので、ビックリして、どうしたんだ?と聞きましたら、
お腹がものすごく痛くて、耐えきれないと言うではありませんか、

下痢か?と聞いても、そうではなく、ひたすらお腹が痛いというので、
これは、悪い病気ではないかと思い、救急車を呼ぼうか?と言いましたら、
もう少し、様子を見ると言います。
もあ・さらと、くの字の私の3人で、なす術もなくココ母の様子を見ていました。
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お腹を温めたりして、しばらくしたら少し良くなったみたいなので、事情聴衆を行ったところ、
普通に食事をして、デザートに大きな「」を2個食べたと言うではありませんか。

「柿を食べ過ぎると体が冷える」と言い伝えがありますが、実際は利尿作用で体温が下がる訳であり、
何にしても食べ過ぎは良くないよとの注意と言うか戒めです。

最近、寒くなってきたのと大きな柿を2個食べた事で、ココ母の体が冷え腹痛を引き起こした事が判明致しました。

若い頃は冷えようが長距離を運転しようが、体の変調を引き起こした事はなかったのですが、
私とココ母も寄る年波には勝てないと言う事です。

これから、本格的な寒さが到来するので、体をいたわりつつ日々を過ごそうと痛感した出来事でした。

皆様もくれぐれもお体ご自愛下さいませm(__)m

心の健康 [ココ父]

この前、mimipapaが「心の健康」を目指していると伺い、
そうだよな~、たまには発散しないとダメだよな~と思いました。

とは言っても何事をするのにもお金は必要です。
しかし、わがやはユーロ危機と言ってもいい状態なので、
抑圧した生活を強いられており、遊ぶお金は、びた一文ありません。

そんな折、仕事の関係者と飲む話になり、この際飲んじゃおうかとなりました。
その仕事関係者は、元々私の仕事の師匠であり、年は10歳離れていますが、
四半世紀の付き合いのせいか、兄弟みたいなおっさんです。
同じ仕事をしているのですが、この不景気で私がギリシャならおっさんはイタリアみたいなもんです。

居酒屋で金がないと言うのを肴に、酒を酌み交わしておりましたら、
何だよ、ピーピーしているのは俺だけじゃないじゃんと少し気が楽になりました。

程なくして、ともなみのまなちゃんが合流し、貧乏ネタで盛り上がりそのままお店へ、
久し振りのともなみでしたので、まずママと、どうよ景気?みたいな話をしてから、
さゆりさんと元気してる~?となり、なっちゃんと今後の人生どうするかと真剣な話をしました。

その内、上機嫌のおっさんが先に帰り、私はさやちゃんとサシで近況を話し合い、
俺もそろそろ帰るわと腰を上げ、ママとさやちゃんがお見送りをしてくれました。
いつもタクシーで帰る途中、寝てしまうのを知っているさやちゃんが大丈夫ですか?
と聞いてきたので、お金がないから電車で帰るとバイバイしました。

翌日、「帰りは大丈夫でしたか・・・?」とメールをもらったのですが
恐らくこの親父は、電車もまともに乗れないのだろうと思っていたのでしょう。
しかし、ちゃんと帰れた私は自慢げに「無事に帰れたぜ」と返信をしました。

まあ、そんなところは別にして、ストレスの発散は人によって様々なのでしょうが、
私は好きな人達と話をする事が楽しいし、
その事によって明日頑張っちゃう?みたいな気持ちが出てきて、
こういうのが必要だな~とつくづく感じました。

土日も仕事だけど、ガンバロ~!!

フラット(ウェーブ) [走る]

前回、湘南は走っているので妙な気負いもなく、朝目覚めました。
わざわざ、応援に来てくれるというので、sgrとmymさんと駅で待ち合わせをして、
会場を目指します。順調に到着し準備を始め、いい感じにアップでき、スタート地点へ、

スタート台には、徳光さん、はるな愛らがいてトークで盛り上げます。
そして、いよいよ9時50分号砲と共にスタートです。

今回、私のせいで練習開始が遅れ、ココ母を準備不足にしてしまいました。
それでも、彼女は前回を上回る1時間以内を目指していましたので、
何とか私は引っ張って記録を実現させてあげたいと思っていました。

キロ6分で走れば何とかなるので、最初の1キロを確認すると6分17秒でした。
2キロ手前に義父が応援に来てくれてましたので手を振ります。
微妙に速度を上げ2キロで時計を見ましたら、10分20秒台で今度は速すぎます。
ペースを守りながら3キロ、天気がいいので暑すぎます。
給水地点の3.3キロあたりからココ母がペースダウンしてきました。
励ましながら4キロ、そして5キロで31分台、まだ何とかなります。

しかし、あきらかに彼女の走りが辛そうなので、このままだと落ちると思い、
やたら声を掛けましたが返事をするのもきつそうです。
私はペースを上げようとして振り返ると、ココ母が離されていくので、
何度もムーンウォークのように後退し、彼女を励まします。
そんな感じで走っていましたら、彼女自身キツクて苦しい表情だったのですが、
私の励ましがあまりにもひんぱんだったもので、
声を掛ける度に「ウルサイ!!」と言わんばかりに眉間に深いシワを寄せます。

後でココ母に聞いたら、やはりそう思っていたみたいで、
「励まされたって速く走れねえんだよ(怒)」と心の中で怒鳴っていたそうです。
そんな事はつゆ知らず、私はこのままだと気持ちが折れてしまうと思い、
輪をかけて声を掛けました。
残り2キロ、速度を上げろ!!と言っても上がりません。
残り1キロ、ロングスパートと言ってもダメです。
最後のゴール前の坂で、ココ母は根性を出しスパートし、
2人で手をつなぎながら、ゴールしました。

目標の1時間以内は実現出来ませんでしたが、去年のグロス記録を上回り、
ココ母はよく頑張ったと思います。
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私は来年のこの大会でフルマラソンに挑戦するつもりなので、
ココ母と一緒に走るのは最後です。
走っている最中、声掛けが激しすぎて、嫌~な雰囲気にもなりましたが、
25年、泣いたり笑ったりケンカしたりしていた私達らしいかな?と思います。

それに、この大会でとても感動的な体験をしました。
私達の前にスタートしていた車いすの部10キロの人達が復路を帰ってきていたのですが、
ほとんど人達が戻ってきていて、最後の3人の方達が距離をあけて必死に走っていました。
私達のスタートと同時にその人達とすれ違ったのですが、
自然発生的に拍手とガンバレーの声が沸き起こったんです。
ウェーブ」のように前方から後方へ拍手と励ましの声が続いていくんです。

私達の部は5000人でしたので、数分その状態が続きました。
それはそれは、そこらへんでは味わえないようなとても感動的なシーンでした。
私はその場で拍手をしながら、物凄い感動をし涙が止まりませんでした。
人が人を応援するって、相手が一生懸命なのが分かるからこそ出来る訳で、
そういう時はやらせでも偽善でもなく、自然に心から応援できるんだなと感じます。

スタートの段階であまりにも感動的な場面に遭遇したので、
自分達の感動はアレッ?て感じになってしまいました(笑)

今回、私自身の失調でココ母に迷惑を掛けましたが、
彼女は練習不足にも関わらず去年のタイムを上回りました。
そして車いすの人達が止まりながらも前を向いて走ろうとする姿勢。
同じ空間にいた私がゴールして思った事は、思いっきり走りたいという気持ちでした。
ココ母のペースで走った事は後悔していませんし、
25年の節目の年に一緒に走れて良かったと思います。
それとは関係なく、いずれどこかの大会で、
その時出来る最大限の走りがしたいと素直に思いました。
こういう前向きな気持ちになれたのも、心配し応援して下さったみなさんのおかげだと思います。

本当にありがとうございました。

今月22日で私達は銀婚を迎えます。
これから先の人生も「ウェーブ」ではありませんが、いろんな事が押し寄せてくると思います。
昨日の激走で全身筋肉痛のココ母を後ろから見ていて、
自分はこの人と25年過ごしてこれて幸福だったなと感じました。

そして、これからも励ましあい、支えあい、時にはケンカもするでしょうが、
その全ての時間を大切にしていきたいと思います。
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フラット(25年) [走る]

久し振りのジムでの練習は、当たり前ですがキツイものでした。
ところがキツイのはキツイのですが、不安感に襲われているより、
走っている方が楽に感じられたんです。

それに練習にすぎませんが、決めた距離を走り切る事により、
達成感というか爽快感を感じました。
それまで、一日中取りつかれていた不安感が、走っている間だけは消滅したんです。
ひょっとしたら、これを繰り返していけば、症状が改善されるのではないかと思い、
ひたすら練習に取り組みました。

私は自分の考えの中で決めた速度というものがあり、
それが達成できなければダメというのがあります。
確かに自分がこんな症状に襲われるまでは、そう思っていました。
でも、練習が出来るようになり、少しずつ症状が改善されてきた今、
走れるだけでもいいのではないかと思えるようになりました。

ココ母の「チャレンジした事が一歩前に進んだ事になる」の言葉がなければ、
ひょっとしたら、大会への参加を棄権したかもしれません。
でも、彼女の言葉に後押しされ、勇気を振り絞って練習を始め、
どんなかたちでもいいから、ゴールしたいと強く思えるようになりました。

ココ母のうつと7年間向き合い、支えてきたつもりでした。
ところが実際には、彼女の本当の苦しさを理解していなかったんです。
自分自身が不安神経症の症状みたいなものを経験して、あらためて痛感しました。
経験してみなければ分からないところが多いですし、想像なんてぶっ飛ぶ位辛いです。
それだけに、こういった病気で苦しんでいる人達に対して、
今まで私は分かった風な事を言って理解してるつもりでしたが、
何を言ってたんだかと思い、猛省をしています。

実は急ピッチな練習で、私は右脚の膝を痛めてしまいました。
どうせ、病院に行っても走る事を制止されるのが分かっているので行きません。
でも、悲壮感はありません。

あの不安感の事を考えると、怪我をして痛み止めを飲んでも、
走るという事の方が、どれだけましかと思っています。
大げさに思われるかもしれませんが、今回、自分自身でもがき苦しんだ事で、
何が人生の中で大切なものかと、おぼろげながら分かったような気がします。

湘南国際でのレースでココ母と一緒に走るのは、
今回が最後で次回は別々に走る事にしました。
それと実は、今月末で私達は結婚して「25年」を迎えます。
25年という歳月を、一緒に歩んできてくれたココ母と、
一つの節目として今までの人生を振り返りながらも、前を向いて走り、
手と手を携えながらゴールしたいと思っています。

今、私はとても「フラット」な気持ちです。
その気持ちのまま、11月3日、9時50分、
ココ母と共にスタートし、必ず2人でゴールしてきます。
ゴールの先に何が見えるか分かりません。
でも、どんな事でも素直に受け入れようと思っていますし、
それが次につながると信じています。

・・・行ってきます。


フラット(依存) [走る]

黙って私の話を聞いていたココ母は、
「うつになった私を長い間支えてくれたから、病気になったんだね」とポツリと言いました。
私はその事と今回の症状は関係がないと反論しましたら、
「どっちにせよ、大丈夫だよ。私がついてるから。根拠はないけど(笑)」と明るく言ってきました。

私自身は、彼女に話す事が出来て気持ちが楽になりましたが、症状は一向に良くなりません。
そんな私を気遣って、彼女はなるべく私を一人にしないようにし、
なおかつ無口なくせに、一生懸命話が途絶えないようにしてくれました。
彼女の気持ちが痛い程分かったので、何とかしようともがきましたが、
状態は泥沼にはまる一方で、こんな辛い状態が永遠に続くかと思うと、
自分自身が耐えられないのではないかと思いました。

ある日の夜中、急に私は目を覚ましました。当然、ココ母・もあ・さらは寝息を立てているのですが、
その状況に私は圧倒的な不安感にかられました。でも、寝ている皆を起こすのは辛いし、
そこで、私がとった行動は、寝ているココ母の背中にピッタリと頭をつけ、胎児のように丸まりました。
そうしたら、不思議な事に自分の心の中に安堵感が広がっていくのが実感できたんです。

しばらく、そんな日々を過ごしました。
ココ母は献身的に私を支えてくれたのですが、私の状態はどうしても良くなりません。
私が不安感と焦りに苛まされているのが分かったのでしょう。
彼女が、ゆっくり話をしてきました。

「あんたが何とか元気になろうとしているのはとても分かるよ。
 でも、無理な時は何をしても無理だよ。そんな時は我慢しないで私に依存しな。
 ただ、依存するだけでは、現状維持か悪化を防ぐだけだから、
 少しでも状態がいい時に失敗してもいいから、やりたい事、やれそうと思える事にチャレンジしてみなよ。
 仮に失敗したとしても、チャレンジした事が一歩前に進んだ事になるんだからさ」

うつで7年間苦しんできた彼女の言葉は、とても説得力のあるものでした。
その言葉を聞いて、自分自身が前に進むのに、何があるのだろうと思った時に、
浮かんだのが走る事でした。

湘南国際にエントリーはしていましたが、全く練習をしていない自分がそこにいたんです。
11月3日まで、もう一ヶ月を切っていましたが、
練習をする事が一歩前に進む事になるのではないかと思い、
久し振りにジムに行きました。


フラット(不安感) [走る]

11月3日の湘南国際マラソンまで、あと4日になりました。
練習期間が3週間とおっつけでしたが、完走出来るレベルまではもってこれたかなと思います。

今、あらためてレースを直前に控え思うところがあります。
今回、練習期間が3週間と短かったのには、私自身に問題がありました。

振り返ってみると、元はいつからかは分かりませんが、精神的な変調に気づいたのは2ヶ月前からです。
どんな変調かと言いますと、「不安感」が止めどもなく押し寄せてくるといった症状でした。

こんな時代ですから、誰しも少なからず漠然と不安感をもって生活していると思います。
自分も今までそうでしたが、それとは一線を画した、とてつもない不安感の連鎖に襲われたんです。
正直、戸惑いましたが、一時的なものと思い込むようにし、
寝て起きれば不安感が払しょくされているに違いないと、半ば根拠のない期待感をもったのですが、
朝、起きても良くなるどころか、ますます悪化していきました。

そんな日々がしばらく続いていたある日、
動悸が激しくなり、手が震えて止まらないといった症状を発症し、
これは真剣にまずいなと自覚したんです。

ココ母に話す事が出来れば楽になったのかも知れませんが、
かなり良くなってきたとは言え、私が抱えている問題を話す事によって、
彼女が7年間も苦しんだうつが再燃するのではないかと言う危惧をもち、
話す事が出来ませんでした。

そんな状態の日々が過ぎて行きましたが、症状は良くなりません。
それどころか人と話をしていないと、不安感を遮断する事が出来なくなってきたんです。
ただ、人と常に話をしているのは現実的に不可能な訳で、現場に車で一人で行く時、帰る時、
皆が寝静まっている夜中、早朝、人と話していない時間なんてかなりあります。

あまりにも症状が頻繁に出るので、本来ならば精神科に行けば良かったのですが、
私は愚かにも酒に救いを求めました。
酒を飲んで酔ってくると、気持ちが楽になり不安感が薄くなる気がしたんです。
私はいつもの量を越える飲み方を毎日しました。その酔っている時間が長ければ長い程、
気持ちが楽になるような気がしました。
ところが、そんな日常は長続きする訳もなく私は酒で体調を崩し、
その体調の悪さが不安感を倍増する事になってしまったんです。

・・・もう、限界でした。
心も体も悲鳴を上げたある日、私は全てをココ母に告白しました。

4回目の命日 [ココ]

昨日26日は、ココの「4回目の命日」でした。

普段は、もあ・さらに「そんな事をするとココ姉ちゃんに怒られるよ」とか言って、
実在しないのですが、ココだったらこうするだろうな~とか、
そんな会話が生活に溶け込んでいます。

ただ、命日が近づくと、どうしても晩年から最期の時の事が思い出されてしまいます。
以前は胸が締め付けられるような気持ちになったのですが、
今年はそうではありませんでした。
そんな自分の感情をココ母に「俺って薄情なのかな?」と聞いてみましたら、
「私もあんたと同じだよ」と言われました。

今、冷静に振りかえってみると、目も見えなくなり,
足もダメになり体重も半分以下になった姿を見ているのはとても辛かったのですが、
持病を抱えつつも約15歳まで生きてくれたココの頑張りに対し讃える事はあっても、
悲しい思い出にはしたくないとの気持ちの方が大きくなってきました。

「お父さん、お母さん、私はこんなに頑張ったのに何で泣いてばかりいるの?」
「泣く事はやめて、頑張った私をホメて」

・・・とココが言っている気がします。
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誰でも命には限りがありますよね。
そして、別れは必ずやってきますし、どうしてもそのシーンが心に残りますが、
それはココの人生の中で、ほんの短い時間です。
それよりも、一緒に歩んできた年月の中で泣き、笑い、愛おしみ。
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ココと私達夫婦にはたくさんの大切な思い出があります。
やっと、4年経ってそう思えるようになってきました。

とかなんとか言って、この文章を書きながら涙が流れているんですけどね・・・
「また、お父さん泣いてる」とココに怒られそうですが、
一年に一回位は許してもらえるかな?
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家飲みの良さ [家族]

前回から片付けが中断していたわが家ですが、先日、洗面所を片付けました。
階段→トイレ→リビング→洗面所、着々と文化的な生活になってきています。
そうなると、家に人を呼びたくなりまして、友達を家飲みに誘いました。

ココが元気な頃は、わんこ友達と週末になると、必ず誰かの家で飲んでいたのですが、
もあ・さらの時代になってからはしなかったですし、この数年は、外で飲む事ばかりです。

元々、ココ母は、家でひっそりと過ごすのが好きなんですが、私が人と会うのが好きなんです。
とは言っても、家がジャングル状態では人も呼べません。
必然的に外で飲むのが当たり前になっていました。

家に人をお誘いする以上、酒の肴を用意するのが当然です。
そうなると意欲的に、これも作ろう、あれも作ろうとなってきました。
何でもそうなんでしょうが、意欲的になると前向きな気持ちになってきます。
外で飲むのも楽しいですが、あらめて「家飲みの良さ」を実感致しました。

連ちゃんで、友達に来てもらい楽しい時間を過ごしましたら、
ココ母がリビングにキルトを飾りたいと言ってきました。
これが、そのキルトです。1m×1mですので結構大きい作品かな?
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5年前に手がけたのですが、彼女の調子が悪く製作が途中でストップしていました。
今回、リビングの壁に飾る事により、もう一回製作にチャレンジする気になったみたいです。

一緒に人生を生きているパートナーが元気でいると、自分自身も元気になれそうな気がします。
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ココ母のおかげで、私も一時期に比べれば、少しづつは良くなってきたと思えますので、
焦らず、自分のペースで前を向いて行こうと思います。
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それもそうなんですが、簡単に作れて美味しい酒の肴があったら、
誰か教えて下さい(^O^)/

カとシ [家族]

リビングを片付けて、この部屋限定ですが文化的な生活をしています。
もあ・さらが吠えると、障害物がないせいか声がこだまし、
整理された部屋はいいな~と、実感する今日この頃です。
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そうなると、他の部屋も片付けをすれば、
尚の事、気持ちがいいだろうと考えるのは人の常です。

最近、ココ母の方が元気で、私の方と言えば劣勢気味なんですが、
片付けに関しては、少しばかり自信があるので、他の部屋も片付けしようよと提案しました。
そうしたら、ココ母の口数が急に少なくなり、行動がスローモーになっていくんです。

あれっ?急にどうしたんだろうと思い、表情を確認するとうつろとまではいいませんが、
ボーッとした感じなので、これはヤバイなと察知し、片付けの話をやめました。
そうしたら、表情が俄然元気になったので、この現象は何でしょう?と推察してみます。

ココ母は元々は片付けが得意でした。
しかし、うつになってからは片付けが、一番苦手なものになってしまったんです。
ただ、最近は元気モリモリなので、払しょくできたのではないかと思っていたのですが、
残念ながら、片付けの「」という言葉で、脳から指令が出てこう着状態になるみたいです。

これは、面白いと思い、ココ母が元気な時に片付けのカと言ってみました。
そうしたら、みるみる内にスローモーになるので、繰り返しからかっていましたら、
反撃を食らってしまいました。

ココ母の口から出た言葉は、資金繰りの「」です。
私は超零細な会社を経営していますので、毎月資金繰りに追われています。
特にこのご時世なので、非常に厳しいものがありますが、かろうじて生き延びている様な現状です。
そんな私を十分に熟知しているココ母なので、私にとっての片付けのカとなるべく言葉は、
資金繰りのシと見極めるのに時間はかかりませんでした。

シと言葉を浴びせられる度にスローモーになる私、
このまま、負けている訳にはいかないので私もカを連発します。
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やたら、きれいになったリビングで、「カ・カ・カシ・シ・シ」がこだましている状況に、
もあ・さらも呆れ気味な表情を浮かべていました。
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お互いに、共倒れになってもしょうがないので、しばらくして、不毛な戦いは止めました。
次は、気持ちが明るくなるような言葉を見つけなくては(笑)

残すところ3週間 [走る]

湘南国際マラソンまで、「残すところ3週間」を切りました。
練習をしなくてはいけないと思いつつ、中々、ジムに足が向かなかったのですが、
意を決して13日、久々にジムに行きました。

ジムには、インストラクターの方達が沢山いるのですが、
その中で、会ったら挨拶だけではなく必ず話をする人が2人います。
話をすると言っても調子どうですか?といった類のものなのですが、
それはそれで、楽しいものです。

13日に行ったら、その2人がちょうどいました。
私達が、今日は~と普通に挨拶をしましたら、その2人が、
「ずっと、お見受けしなかったので心配していたんです。何かあったんではないかと?」
と言って下さったので、「いやいや、体調不良で来れなかったんです」と答えました。
それから、少し話をして私達は練習を始めたのですが、ちょっと意外でした。

大体、ジムの方達はこちらが尋ねてそれに答えるのが主流です。
スタジで同じ人に、習っていれば別ですが、私達はひたすら筋トレと走るだけなので、
あまり、記憶に残らないのではと思っていました。
そんな認識でしたので、心配をしていたとの言葉を聞いて、正直、嬉しかったんです。

人って、思っていても言葉で表現するのを、中々しないじゃないですか、
私は、言葉をかけてもらえるのが嬉しいので、自ら人様に対しては言葉を意識して表現しています。
ただ、親しい付き合いをしていても、その人の性格によっては、ノーリアクションかよ?
と言ったところがあります。その人の性格を熟知していればそんな事を思わないのですが、
何だかな~と思うのが多くあるし、そう感じる自分も嫌なので、考えないようにしています。

そんな折に、インストラクターの方達から暖かい言葉を掛けて下さったので、
意外だったのが大きかった分、感激したんです。
まあ、50歳の親父が泣く訳もいかないので、涙はこらえましたが、
ウルウルしてしまったのは事実です。

些細な事と言ったら、それでお終いですが、
今の私にとっては、いつも以上に、とても有難いし嬉しい事です。
あと、3週間でどこまで出来るか分かりませんが、
無理をせず、でも、後悔しないようにしてみようと思います。

頑張れ、自分!!


100円のホットドッグ [ココ父]

気分が下がってると辛いので、打開策がないかと思案してみました。

そこでまず浮かんだのが、半ばジャングル化している部屋の片付けです。
ココ母が片付けが出来なくなってから、私が整理整頓を何年間もしていたのですが、
私自身も2年前に力尽き、この数か月は人様を家に招く事が出来ない程の惨状です。

人間、面白いもので、あるボーダーを越えると、どうでもよくなってしまい、
最近では、掃除機を丸くかける事しか出来ない状態になっていました。
しかし、スッキリとした部屋に、健全なる精神が宿るではありませんが、
部屋を片付ければ、気分も上向きになるかな?と思い、収納家具を購入しに、I○EAに行きました。
3連休でしたので、家族連れで混雑をしていたのですが、安くていい物を購入でき、
精算を済まして帰ろうかなと思った視線の先に、ホットドッグが売っていました。
値段を見たら100円でしたので、安いな~と思いつつ、
この値段では美味しい訳がないだろうと決めつけ、食する事なく帰宅致しました。

家に戻り家具を組立て、部屋に散乱したものをしまいます。
その結果、かなり整理できたのですが、まだ収納家具が足らない事となり、翌日、またI○EAに行きました。
家具を購入後、朝食もまだでしたので「100円のホットドッグ」を食べてみたところ、
これが予想に反して美味しいのです。
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セルフ基本のお店なのですが、そこがまた、トッピングが自由にでき、
山盛りピクルス及びフライドオニオンなんかしてみたりして、とっても楽しいんです。
ある意味、昂揚感すら覚え帰宅いたしました。

家に戻ってから整理整頓に集中し、数か月ぶりに部屋の隅から隅まで掃除をしましたら、
とても、晴れ晴れとした気持ちになり、人でも呼んじゃって遊んじゃう?といった気持ちが芽生えてきました。

何がきっかけで、気持ちが変わるか分からないものだと思います。
この数か月、今までの人生で感じた事がない位、不安感、焦燥感を感じていました。
ところが、たまたま家具を買いに行ったお店で、値段ではありえないだろうと思える程、
美味しく感じたホットドッグに、何と言ったらいいのか分からないのですが、
とても、幸せな気持ちを感じたんです。

絶望的とまでは言いませんが、それに近い気持ちを感じながら生活するのは大変辛いものですが、
そんな中でも、決して悪い事だけじゃなく、いい事もあるじゃんと思えたんです。

多分、平穏な気持ちの時だったら、こんな感じ方はしなかったんだろうと思いますし、
とても地味な喜びかもしれませんが、そういったものが日々の生活の中で、
前向きな推進力になるのだと思えます。
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ただ、「100円のホットドッグ」を10本買ってしまったので、賞味期限3日以内に食べきらなければいけません。

まっ、美味しいからいいっかな(笑)


半年後はキルター? [キルト]

ココ母が参加したフレンドシップキルトが、
7~10日まで六本木ヒルズで展示しているので、見に行ってまいりました。

私にとってキルトは天敵みたいなものですから、普段でしたら見に行こうとは思わないのですが、
もあとさらがいるとはいっても、一人で家にいると好からぬ事を考えてしまうので、
一緒に行く事にしました。

7日は初日でしたので、平日にもかかわらず混雑していたそうですが、
今日は連休初日の割には、午前中に行ったせいか空いていました。

ココ母のキルトは入口のすぐそばにあり、一緒に行った友達がすぐ見つけてくれました。
40㎝角1枚×9人の作品ですので、1枚の時より当然ですが迫力があります。
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ココ母以外の作品を見ると、デザインが違うので何とも言えませんが、
パッと目を引くもの、地味だけど技術的に高いもの、様々です。
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各作品には番号がついていまして、来場した人が気にいった作品一つを紙に書き投票するので、
ココ母、友達、私は当然ですが、ココ母のキルトに投票致しました。
投票数の多い作品は、表彰してもらえるみたいですが、そうなればいいなと思います。

夫婦というのはバランスがとれたもんで、私が沈んでいる分ココ母がとても元気です。
今までの7年間は何だったんだろうと思える位快調なんですよ。
最初は私を元気づけようと無理しているのかな?とも思えたのですが、かなりイケてます。

その点だけならいいのですが、私が沈んでいるのを見て、
「キルトをやると余計な事を考えないからいいよ♪」と勧めてくるんです。

確かに余計な事を考えなくてすむのならとも思うのですが、
ココ母の口車に乗せられるのもしゃくなので、誘いは断っています。

でも、「半年後はキルター?」になってたりして・・・

オールしちゃった [ココ父]

先週の金曜日、男子達と飲みました。
そのメンバーは元々お客さんで、7月に接待的な飲み会をしたのですが、
その時に会社のワクを離れて、定例的に飲み会をしようとなり、
今回、第2回ココ父の会と名して集まりました。
私を含めて男子4人、あとココ母の計5人です。

居酒屋で18時30分にスタートし、ワイワイ、ガヤガヤ楽しい時間が過ぎていきます。
私は基本的に女子としか飲みませんが、男子と飲むのも楽しいじゃんと思えました。
21時に居酒屋を後にし、クラブともなみに行きます。
給料日の後の金曜日なのでお店は混雑していましたが、その喧噪が心地いいです。
23時30分にお店を上がり、どうする?となりましたのでカラオケでも行っちゃう?となり。
そのままシダックスへ。
話をしたり、歌ったり、イネムリこいたりしていましたら、朝の5時になってしまいました。
そろそろ、帰りますかという事になり、解散です。

私、知らなかったのですが、朝まで遊んじゃう事をオールするって言うんですね。
学生の頃はよくしましたけど、記憶の中では20年振りだと思います。
家に帰って来て、爆睡出来れば良かったのですが、なんだかんだ3時間位しか睡眠できず。
ヤボ用を片付けていました。

その日の夜は女子大生と飲む約束をしていましたので、何としても元気にならなくてはいけません。
地元で評判の焼き鳥屋さんで18時30分スタートです。
若ぶりたかった訳ではありませんが、俺、昨日「オールしちゃった」と自慢気に言いましたら、
ココ父さん、ワッカッイ~と黄色い声を受け、調子に乗ってガンガン飲みます。
21時20分にお店を上がり、カラオケに行きました。
熱唱、トークなんぞしていましたら、あっというまに25時になってしまい、
また、遊ぼうね~♪と解散です。

朝、起きましたら、とてつもない倦怠感に襲われました。
私は朝食は欠かさない男なのですが、食欲はわいてこないし、頭はクラクラするし、
前回のブログに書きましたが、精神的に疲れているので、症状が悪化したかと思う程です。
昼になっても状態は変わらないので、ココ母に、俺、悪化したかもしんないと言いましたら、
あんたさ~、先週、毎日午前様で、しかもオールまでして、寝てなければ誰でも体調崩すじゃん。
と軽く言われました。

改めて思いましたが、ココ母が冷静かつ客観的な性格で良かったと思います。

・・・少し、飲みにいくのは自粛しよ。

不安と希望 [走る]

この数か月、不安感に襲われています。
誰しも、不安感を持たない人はいないと思いますし、
私もそれなりにその感情と向き合ってきたつもりだったのですが、
かなりキツイです。
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仕事に没頭していたり、人と話をしている時はいいのですが、
一人になって色々考えると、私にとって初めての経験なんですが、
身体が重く感じたり、両手がしびれるような感覚が襲ってきます。
そういった事が頻繁に起きるようになってきたので、
自分なりに、不安感を遮断するようにしてきたのですが、
あまりうまくいきませんでした。

本来ならばココ母に話をすれば、気も楽になるのではないかと思ったのですが、
良くなってきたとは言っても、それがきっかけとなってうつが悪くなるのではないかと思うと、
彼女には言えませんでした。
ただ、そうは思っていても自分の辛さは無くなるどころか、余計ひどくなってきました。
夜中に急に起きたかと思うと、ものすごく怖くなり胸が締め付けられるようになったり、
動悸が激しくなったり、もう、ココ母に隠すのは無理だなと思いました。

彼女に全て話しました。
私の話を静かに聞いていた彼女は、一言。
「大丈夫だよ。私がついているから」と言ってくれました。
別にその一言で、全てが払しょくされる訳ではありませんが、
私にとってその一言は、不安に苛まれている心の中に少しの安心感を生んでくれました。

私の今の状態が、うつなのか他のものなのかは分かりません。
ただ、こういった症状が、うつ、パニック障害でも起きる事があるとは認識しています。
そして、そこで改めて感じたのが、こんなに辛い状態を7年間もココ母が過ごしてきたという事です。
私なりに、ココ母の辛さは分かっていて接してきたつもりでしたが、それは錯覚でした。
当事者の辛さは、そばにいる人間にも分からないし、その辛さは想像以上のものなんだなという事です。
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こんな状態ですので、11月3日に向けての練習が出来ていません。
それに、今回、様々な理由があって走るのはココ母と私だけです。
正直、頭では分かっているのですが、寂しい気持ちは拭えません。
何か目標を失ったような、糸の切れた凧みたいな感じがしていました。
そんな私の現状を知っている友達が、来週から練習をしようと言ってくれました。

・・・嬉しかった。本当に嬉しかった。

不安を消し去るのには、希望を持つ事が大切だと思います。
しかし、心や体が動かなくてどうしても内向きな状態になってしまいます。
でも、怖くても辛くても前を向く事が最初の一歩になり、それが希望につながっていくのは間違いのない事です。
私にとって走る事は、ただのスポーツを越えた存在です。
走る事によって自分と向き合い、自信を持てたり、前に進む事が出来ました。

・・・私は今のままで人生を終えたくありません。

手足におもりをつけた状態での練習になると思いますが、
いつか必ず、希望を見いだせると思い走ってみます。

それが、明日につながると信じて。
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なあ、ばあさん [キルト]

や~~~~っと、ココ母のキルトが完成致しました。
今日が提出日でしたので、台風直撃にもかかわらず、
都内の教室まで出かけ、ずぶ濡れで帰ってまいりました。
あとは、六本木ヒルズで展示後、先生のOKが出れば、
アメリカのコンテストに出展です。

そこんところは、運を天に任せるしかないのですが、
今回は順調に終わったんじゃないのと尋ねましたら、
今までで一番きつかったと答えてきましたので、
俺にあんまりあたらなかったじゃんと言ったら、
そんな余裕がなかったとふざけた事をのたまいます。

わたくしは大人ですので、何でかな?と冷静に尋ねました。
すると、コンテストを意識しすぎて針目が気になって・・・
と真面目な事を言いやがるので、
きれいな針目じゃんと優しく言葉をかけましたら、
ドシロウトに何が分かる!!とあまりにも失敬な言葉を吐きます。
わたくしは、コノヤロ~と思いましたが、グッと抑えて、
でも、先生はレベルが高いって言ってくれるんだろう?
と持ち上げます。

そうは言ってくれるけど、全然そう思えない。
と、顔に似合わない事を言いやがるので、
同じ教室の人達は、なんて言ってんの?とウンザリしながら聞きましたら、
みんなココ母さんの針目はきれいだよと言ってくれるそうです。
なんだよ。こいつ自慢かよと思いましたが、そうでもなさそうなので、
気になるのは性格なんじゃないのと言いましたら、
そうかも知れないけど、何か気になっちゃってとグダグダ言います。
いいかげん、この問答に飽きてきたわたくしは、どうやって話を収めようかと思い、
何気なくテーブルを見ました。

すると、ココ母専用老眼鏡があるではないですか、
ピン!ときたわたくしは、原因がわかったとココ母に得意げに伝えました。
何?ときたので、老眼鏡かけて製作したからだぜ!
何でそうなるの?と怪訝な顔をしているので、
だって、老眼鏡って虫めがねみたいなもんじゃん。
人より針目がよく見えるから気になったんだよ。
と得意満面に言いましたら、
なるほど!!と納得したココ母。

てことは、老眼鏡をかけてキルト製作すれば上手く出来るじゃんよ。
なあ、ばあさん
とつい口をすべらしてしまった途端、渾身の右ストレートパンチをくらってしまいました。

外は台風の為、歩ける状態ではありません。
病院には行けないので、ひたすら痛みを我慢するわたくしです。
この世からキルトは無くなってほしいと切に願う秋の日でした。

発表する前なので、ぼかしましたがこんな感じです。
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好きなもの [もさら]

誰もが、好きな食べ物に程度の差こそあれ、少なからず執着すると思います。
ココ母は、自分の「好きなもの」を一番最後まで大事にとっておいて、
おいしいね~と言いながら、幸せそうに食べます。
そこのところは、別段問題ないのですが、少し困ったクセがあるんですよ。

彼女は、わたくしの作った卵焼きが大好きです。
別段、何の変哲のない普通の卵焼きなのですが、いつも最後までとっておきます。
いつも、食べる時はその卵焼きを4等分に切り分け、2人で2切れずつ食するのですが、
最初の一切れを食べ、残りの一切れをはしで二等分してわたくしに食べろと言うんです。

自分の分は食べたからいらないと言うと、美味しいから食べろと勧めます。
そりゃ~、俺が作ったんだから美味しいだろと思いますが、
彼女の為に作ったんだから、人に勧めないで黙って食えばいいじゃんと言いたいのですが、
しかし、執拗に食わせようとするので、最後は言い争いになってしまい、
楽しい食卓が修羅場と化してしまいます。

まあ、ココ母とすれば一杯のかけそばではありませんが、
2人で分かち合いたいという気持ちなんだと思いますが。。

しかし、もあとさらに関してそれはありません。
通常のごはんについては、2人並んで仲良く食べていますが、
2人の好物、アキレスを与えると状況は一変するんですね。
リビングの端と端に分かれ、互いに取られない様に用心しながら食べるんですよ。

もあの事を横眼で見ながら用心するさら。
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おしりでガードしながら食べるもあ。
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さらなる用心をするさら。
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虎視眈々と狙うもあ
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この状態は食べ終わるまで続きます。
その様を見ていると、セコイと思いつつも微笑ましいものがあって、
つい、プッと笑ってしまいます。

こういうシーンが日常にあるって、幸せな事なんだなと思います。
生活の繰り返しって、時に大切な事を日常の中に置き忘れてしまうところがあるじゃないですか。
苦しみもそうですが、幸せも無限ではないですよね。
あらためて、2人が与えてくれる幸せが大切な事だと思います。

・・・この幸せがいつまでも続きますように。

多少の犠牲 [ココ父]

最近、ココ母が意味深な笑顔を浮かべるので、
とうとう、残暑でイカれてきたのかと思っていたのですが、
それにしては、含みのある笑顔なので嫌な予感がしていました。

そうしたらある日、ココ母がニヤッとしながら話を切り出してきたんです。

あのさ、なっちゃんに誕生日のプレゼントあげたんだ?

なっちゃんというのはクラブともなみのおねえちゃんです。

アア、あげたってこの前言ったじゃん

ふ~ん、7月にプレゼントあげたのに、随分、タイムラグがあるよね(怒)

ココで説明をさせて頂きます。
実は7月末になっちゃんの誕生日があって、ちょっとしたものをプレゼントしたのですが、
ココ母に言いそびれていたんです。
そして、この前ココ母とともなみに行ったら、なっちゃんがプレゼントのお返しといって、
ペアグラスを私達にくれました。
ココ母がエッと言う顔をしましたので、実は、この前プレゼントしたんだよとゲロッたんです。

わたくしとしては、ココ母にウソはつけないので黙っているのは心苦しかったのですが、
その頃、わが家は家計が厳しく節約生活をしていました。
そんな耐乏生活の最中に、いい子とは言えプレゼントを贈ったと言ったら、
怒られるのではないかと思い、言いだせなかったんです。

わたくしは、今述べた事を誠心誠意ココ母に話しました。
何らかのお咎めはあるのは覚悟していたのですが、
ココ母は天使のような笑顔で、ちなみにいくらしたの?と尋ねてきました。
わたくしは、○千円だよと正直に答えましたら、
エッ!○万円だと思っていたと驚いた顔をしたので、
いくらなんでも、それはないよと言いました。
そうしたら、ココ母はさらなる慈愛に満ち溢れた表情を浮かべ、こう言いました。

私、欲しい靴があるんだけど?

わたくしは、今スグ買いに行こうとココ母を車に押し込み、デパートのお店に直行しました。
ココ母にどの靴?と聞いたら指をさしたので、お店のおねえちゃんにこれ下さいと言い、
横の靴も見ていたので、おねえちゃんにこれも下さいと言い、洋服もチラチラ見るので、
何でもいいから全部下さいと言って支払をしましたら、○○万円になってしまいました。

まあ、わたくしに悪意はないにしろ、落ち度があるのは否めません。
ココ母もここらへんで手を打つのかと思いましたら、
今日、mymさんと飲みに行こうと言います。わたくしに逆らう術はありません。
フツーに飲んでいましたら、ココ母がmymさんに今回の事を全て言うではありませんか!
そんな事、言われた方だって困りますよね。
mymさんは、大人な対応をして下さいました。
わたくしは、このままだと当分アリ地獄に陥るなと思い、
ココ母の視点を変える事を画策いたしました。

あのさ、プレゼントのブレス、どこで買ったと思う?

まさか、sgrのとこ?

ピンポン!!そのまさかなんですけど

sgrとは昨日飲んだけど、何も言っていなかった(怒)

だって、口止めしたんだよ。店長のknkも一緒だよ~ん

あいつら~(怒)(怒)(怒)

案の定、ココ母の怒りの矛先はわたくしから他に移りました。
そしてダメ押しに、女の友情も当てになんないよね(笑)と言いましたら、
ファック・ユーと中指を立てて、ワナワナ震え出しました。

黙っていてくれたsgrには悪いとは思いましたが、
人間、自分の身を守る為には、トカゲの尻尾切りというか「多少の犠牲」は止むを得ません。
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・・・わたくしって、最低な人間でしょうか?

ケツが割れる [走る]

わたくしは陸上競技が好きですが、苦手としている種目があります。
それは400m走です。

高校の時、大会で走った事はあるのですが、
最後の直線の100mで、足は上がらないわ、腕は振れないわ、
よだれや鼻汁が出てくるわで死ぬ思いをした事があります。
しかも、経験者の方は分かると思うのですが、
ゴールした後、「ケツが割れる」といった状態になるんです。

説明しにくいのですが、おしりのあたりがジーンとしてしまい、
しばらく動けないといった感じなんです。
元々は、中距離専門だったので、400mは専門外だったのですが、
その一回で懲りて二度と走りませんでした。

先週から、ジムで練習を再開したのですが、、
やはり、サボっていたツケは大きく、まっとうに走れませんでした。
これではヤバイと思ったので、とりあえず5000m走って、
あとはインターバルを取り入れる事にしました。

最初の内は200mダッシュの200mジョグにしてたのですが、
それを5000mやるとなると、200mが12本となり、
こまごまとしていて面倒くさくなったので、
400mダッシュの400mジョグに変更しました。
そうすると、6本やればいいので、ちょうどいいじゃんと思い、
その練習を始めました。

まず、ゆっくりめで5000m走り、
まず1本目の400mダッシュです。250mまでは良かったのですが、
しだいに苦しくなりラスト100mで重大な事を思い出しました。
400m走るとケツが割れるという事を・・・

マシーンで走っているので、立ち止まる事も出来ず。
ベルトの外側に足を置いたのですが、35年振りにケツが割れるのを実感致しました。
しかも、息が上がりまくっていたので、隣のおじさんが大丈夫か?といった顔をします。
そうなると悔しいので、残り5本を死ぬ気で走ったのですが、
全部終わった後、一種の無酸素状態になり、手足が震えてきてしまいました。

少し休んでから周囲に目をやったところ、先程のおじさん、きれいなおねえちゃん、
色っぽい奥様がわたくしを注視しているんです。
わたくしが顔を上げたので、その方々は慌てて視線をそらしたのですが、
よく考えてみれば、無理もないですよね。
だって、音楽を聴きながらとかTVを見ながらウォーキング又はジョギングが主流です。
そんな中で、ヒーヒー言いながらインターバルしている親父がいたら誰もが見ますよね。

しかし、大会まで間もないので練習メニューは変えられません。
てゆうか、もっと濃い内容にしていかなくてはならないので、
これからも、練習の度にケツが割れると思います。

今、あらためて考えたのですが、わたくしは何の為に辛い練習をしているのでしょう?
漠然としていて分からないので、ケツを割りながら考えていきたいと思います。

やっぱり、キルトなんか嫌いだ!! [キルト]

毎年恒例の忌まわしい季節がやってまいりました。
そうです!ココ母製作のフレンドシップキルト提出の季節です。

思い起こせば、一昨年にひどい目にあわされ、
昨年は輪をかけてひどい目にあい。
キルト自体に罪はないのですが、わたくしはキルトが嫌いになってしまいました。

今年は、あんな思いはしたくないので、提出日の21日まで一切予定を入れていません。
ただ、懸念があるとすればジムでの練習ですが、
ココ母も、今から練習しなければ完走できないのが分かっているので、
キルトの合間に練習をしています。

家事に関しては、わたくしが全面サポートをしておりますので、
何ら問題がなく、キルトに専念できる環境は完璧と言っていい位整いました。
それプラス、わたくしはキルトの工程管理も把握し、
このままいけば、楽に提出の運びだと思っていました。

ところが、昨日順調に進んでいるキルトを見ながらココ母が嫌な顔をしています。
何か問題でも生じたのかと思い、ドキドキしながら尋ねました。

どうしたのでしょうか?何か問題でも起きましたか?

・・・わたくし、言葉遣いも慎重です。

暑くてやってられない(怒)

・・・そう、ココ母は更年期障害の為、突然暑くなるんです。

それは大変ですね。少しおさまるまで休んだら如何でしょう?

そんな、時間はない(怒)

気持ちは分かりますが、しょうがないでしょ

何か、ムカつく(怒)

・・・ココ母の更年期障害はイライラも併発しています。

命の○でも買ってきましょうか?

そんなもんいらん(怒)

・・・どうしろっていうんだよ。

大体、ジムも行かなきゃなんないし、飲みとカラオケも行きたいし(怒)

・・・奥さん。それはこっちのセリフだよ。

こうなったのも、あんたのせいだ(怒)

・・・無言

大体、更年期障害になったのはわたくしのせいではありませんし、
飲みとカラオケだって、わたくしは我慢しています。
それに根本的な事ですが、キルトをやってくれなんて頼んでもいません。
あげくの果ては、わたくしにインネンを吹っ掛ける始末です。
わたくしは、ココ母が愛して止まないキルトを好きになろうと努力しました。

・・・しかし、我慢の限界です。

やっぱり、キルトなんか嫌いだ!!


居酒屋で遭難 [ココ父]

昨晩、mymさんとココ母とわたくしで居酒屋さんに行きました。
料理も美味しいし、店員さんの対応も爽やかなので、
けっこう、利用させてもらっています。
ただ、席によって冷房が効きすぎると言う難点があるのですが、
そこは、厚着をして対応していました。

昨晩も、湿度が高く蒸し暑かったのですが、わたくしは長袖を着用し万全の態勢です。
楽しい会話とお酒で2時間程過ごした頃、異変が生じてきました。
とにかく、凍えるほど寒いんです。

2人に尋ねたところ、寒いけど凍えるほどではないよとの事。
しかし、わたくしの震えはおさまりません。
何故、女子が平気で自分がダメなんだろうと、遠のく意識の中で考えました。

それは体脂肪の違いしかない!
確かに、最近身体を絞ってきたので、わたくしの体脂肪は10%を軽く切っています。
そりゃ、寒いよな~、でも、なんだか気持ちよくなってきたよな~、
このまま、眠ったら気持ちいいだろうな~、と言う言葉が、
わたくしの頭の中を反すうします。

しかし、そこで反対に、眠ったら死ぬぞ~!!と言う言葉が、
命の灯が消えかかっているわたくしを揺り動かします。
互いの言葉がせめぎあっている最中に、わたし、トイレ!と言うココ母の一言で目覚めました。

いや~、危うく「居酒屋で遭難」するところだったよと、トイレから戻ったココ母に言ったら、
何言ってんの、居眠りこいてただけじゃん!と一蹴されました。
そんなんではないんです。本当に凍死しそうになったんです。と訴えても、
大げさなオ・ヤ・ジと白い目で見られるので、お店を出て帰宅の途につきました。

外気は蒸し暑いのですが、身体の芯が凍っているので何か変な感じです。
そのまま、歩いていたら、今度は猛烈な腹痛が襲ってきました。
家までは遠くてもたなそうだし、ヤバイ!と思って公園のトイレに何とか駆け込みました。
しかし、激烈な痛みで、トイレを出たり入ったりの繰り返しになり、
ココ母は近くのベンチで、さすがに心配顔です。

30分位、出たり入ったりして、やっと落ち着いてきたので家に帰りました。
しっかし、恐ろしい程の下痢でしたので、悪いもん食べたのかな?と考えたのですが、
同じものを食した2人が何の変化もないので、原因は間違いなく冷えです。

若い人だったら、自立神経も問題ないのでしょうが、
わたくし、最近失調気味なのでこういった影響が身体に出てきます。
ただ、身体は失調してようが飲みに行かなくてはいけません。

これからは、ダウンを着て居酒屋さんに行こうと思います。


心の痛み [ココ父]

先日、Aさんという方と会いました。
その方は、ココ母と同じくうつ病です。一回、お会いした事はあるのですが、
残念ながら、あまり会話する時間がなく、今度、お会いしましょうと言って、
別れて以来、お会いする事が出来ませんでした。

先日、Aさんとメールのやりとりがあり、
私は出来たらお会いしませんかと誘いました。
Aさんは、かなり調子が良くなかったので、本来はそういった状態の時に人に会うのは、
本人にかなりの負担を強いる事になります。
ただ、私はそのタブーを破ってでも、会わなくてはいけないと思い、
無理を承知でお誘いしました。

Aさんは、私達と会ってくれました。
会話の中で、いろんな事を話しました。
Aさんに対する周囲からの偏見、誤解、そして人格の否定。
ココ母もキツイ日々を送っていましたが、Aさんのそれは凄まじいものでした。
その環境の中での孤独感を想像したら、怖くなる位のものです。

そういった環境で過ごしていると、自分自身がおかしいのではないかと思うとおっしゃっていました。
ココ母もよくそういう事を言っていましたが、それはまったくの間違いです。
外科的な病気、怪我、内科的な病気、何れも本人の人格は肯定されますが、
残念な事にうつ病は、名前自体は認知されてきましたが、
それが、どういったものか、まだまだ理解されているとは思えません。
そして、病気に対する無理解さが、結果的に本人の人格を否定する場合があります。

でも、考えてみて下さい。誰だって気分が落ち込んだりする事はありますよね。
だからといって、人格を否定されたらあなたはどういう気持ちになりますか?
うつ病の人は、性格が変化する訳ではありませんし、人格もそのままです。
ただ、気持ちが重くなるのが症例化するだけなんです。

Aさんがポツリと言いました。
今日、ココ父さんとココ母さんに会わなかったら、自分がダメになると思ったと。
その言葉を聞いて、Aさんが渾身の勇気を出して来て下さったんだと、胸が詰まる思いがしました。
何故、そこまでしたのか?
それは、ご家族の為なんです。

Aさんは考えていました。家族の為に早く良くなりたい。
でも、状況は悪くなる一方だし、こんなんだったら、
自分がいなくなる事で、家族を救う事ができるんじゃないか?と

その考えは肯定できませんでしたが、
改めて自分自身に置き換えた時、そこまで家族の事を思えるかと思いました。
だって、自分自身が病気でものすごく辛いのに、その事より家族の幸せを考えられますか?
残念ながら私は無理かもしれません。

うつで苦しんでいる人達に共通したところがあります。
それは、人に対してものすごく配慮するところです。
自分が「心の痛み」を知っているからこそ、人を傷つけたくないと思い、
発言、行動をとても思慮深く考えます。

私はAさんと向き合ってみて、とても立派な人だと思いました。
病気の辛さ、周囲からの無理解ゆえのプレッシャー、
それでも、家族の事を一番に考える勇気に敬意を感じました。

今、Aさんとご家族は、互いに手を携えて病気に立ち向かっています。
時間はかかるかもしれませんが、
いつかAさんとご家族が、心から笑いあえる時が来る事を望んで止みません。
そして、この病気で苦しんでいる人の立場に立って考える人が、
少しづつ増えてほしいと思います。

夏の終わり [ココ父]

8月も31日になりました。
まだまだ、残暑は厳しいですが、
朝夕の風の変化で「夏の終わり」を感じます。
今年の夏は、わたし達にとって、今までと違った夏になりました。

それでも見上げれば、いつもと変わらず空があります。
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そして、生命は空に向かって成長し。
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人々の英知が結集したスカイツリーはそびえ立ちます。
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長い道のりが待っていますが。
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頑張ろう!日本。

座敷でもいいよ [ココ母]

居酒屋さんに予約の電話を入れると、
御座敷ですか?テーブル席をご希望ですか?と聞かれます。

わたくしはお酒の席でよく寝るので、座敷の方がいいのですが、
ココ母は頑なに、テーブル席!!と言って譲りません。
何でそんなにテーブル席なのかと以前尋ねたのですが、
最近、女子はブーツを履く事が多いので、
お座敷だと大変でしょと、答えが返ってきました。

確かに、納得のいく答えだったので、
お座敷しか空いてない時以外は、テーブル席を予約していました。

先日、ココ母が靴が欲しいというので、デパートに行きました。
お目当ての靴があったので、彼女はご満悦です。

ふと横を見ると、おしゃれなブーツが置いてあったので、
履いてみればいいじゃんと言い、試着と言うか試履きをしました。
予想以上に似合ったので、これも買えばという事になったのですが、
いつまでたってもブーツを脱ぎません。

履いて帰るのかと聞きましたら、いや、そうではないと答えます。
だったら、はやく脱ぎなさいよと言いましたら、
脱げないんだけどと、こっそり言ってきました。
マジかよ~と思い、ココ母を座らせてブーツを引っ張ったのですが、
ビクともしません。

その内、お店のおねえさんも事の重大さに気づき、
わたくしと2人がかりで、やっとこさ脱がせる事に成功しました。
こんなんじゃ、買えねえじゃんと言いましたら、
いや、履く頃には痩せるからと全く根拠のない事を主張します。
あげくにお店のおねえちゃんも、大丈夫ですよと後押してくるので、
止むを得ず購入致しました。

家に帰ってから、ココ母に尋ねました。
前からブーツを脱ぐ時ってあんなもんなのか?と、
ここ数年そうかもねと答えます。
という事は、頑なにテーブル席を主張したのも、それが理由かと?
と聞きましたら、ピンポーン!と悪びれもせず言ってきました。

まあ今回の事で、ブーツを脱ぐのが大変という事が露呈したので、
逆にココ母は開き直り、今度から「座敷でもいいよ」とほざいてきました。
ていう事は、みんなで居酒屋に行った時は、
わたくしがココ母のブーツを毎回脱がせるのかと思うと憂鬱になります。
だったら、今まで通りテーブル席の方がなんぼいいか分かりません。

しかし、脱いだり履いたりするのが大変でも、
気にいった物を身に付けたいと言うのが、
女心なんですかね?


ビリ犬さん? [もさら]

もあ・さらの毛も伸びたので、
そろそろカットかなと思い2人を見ていました。

やはり、もあはボサボサでも可愛い。
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今風に言えば、まさに「美男ですね」そのもの。
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さらもジャンルは違うが可愛い。
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可愛いが、頭頂部が誰かに似ている。
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ビリ犬さん?
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 [ココ父]

クラブ、キャバクラ問わず、お店の形態は違っても共通なところがあります。
それは何かと申せば、お礼メールです。

同伴、アフター、指名をした場合、
翌日「昨日はありがとうございました」といった感じのメールをもらいますが、
女子の性格によって、文面が様々なので、読んでいて興味深いところがあります。
中にはマメな子がいて、テーブルについていないのにも関わらず。
昨日は話が出来なくて残念。とメールをくれたりします。

元々、わたくしは寂しがり屋の甘えん坊ですので、
実際に話すのもそうですが、メールとかカキコで話をするのが好きです。
確かにお礼メールは、儀礼的な要素が大半を占めていますが、
そうとは分かっていても嬉しいものです。

わたくしはみなさんご存じの様に、どこでもココ母と一緒です。
クラブも仕事の付き合い以外は、一緒に行くのですが、
最初は、女性しかも奥さんを連れてくる人は、
ほぼいないので、お店側も戸惑いますが、
よく行くクラブともなみは、わたくしにもココ母にもよくしてくれます。

ここんところ、週一ペースでともなみにお邪魔していたのですが、
ちょろっとテーブルについてくれた仮にA子さんとしましょう。
そのA子さんが、翌日ココ母にお礼メールをくれました。

その人はとても情が深い人で、一言二言しか話が出来ない時でも、
翌日、かなりの頻度でメールをくれますので、
ココ母にもメールをくれてありがたいなと思ったのですが、
わたくしにはメールをくれませんでした。

そういう事もたまにはあるのかなと?考えていたのですが、
金曜日にお邪魔した時も、ココ母にはくれたのに、わたくしにはくれませんでした。
2週続けてだと、さすがのわたくしも色々考えてしまいます。
俺、何か失礼な事したかな?とか思いおこしてみたのですが、見当がつきません。

その話を有識者の女子達に尋ねましたら、
クラブに限らずお店側としては、奥さんを大事にするわよと言われました。
当たり前と言えばその通りなのですが、
奥さんが機嫌をそこねて、あの店に行くなとか言われたら、夫としたら行きにくくなります。
そこは重々承知の上なのですが、やはり寂しがり屋の甘えん坊としては、
スルーされるのが世の中で一番キツい仕打ちです。

ココ母がみなさんのおかげで元気になってきたのは、とても嬉しいのですが、
元々、彼女は太陽みたいな人です。
彼女に比べればわたくしなんぞは、いるかいないか分からない位の存在なので、
恐らくこのままいけば、ココ母さんの旦那さんってどんな人だっけと思われるのは必至です。

人生51年生きてきて、人の去り際とはこういうものかと認識してきました。
一抹の寂しさはありますが、これが男として夫としての最後の務めと思えば止むを得ません。
辛い人生でしたが、楽しい事もありました。
その思い出を胸に、わたくしはココ母の「」となるべく余生をひっそりと過ごします。
みなさん、これまでありがとうございました。

これからもココ母をよろしくお願い致します(笑)

くら替え [ココ母]

涼しかったと思ったらまた暑くなり、ウンザリしています。

今月は千葉方面の仕事なので、
連日、ココ母改め殿様ガエルと朝早く家を出発しているのですが、
今日の仕事は一人で対応出来るので、殿様ガエルは休みになりました。

5時半出発で車を出そうとしたら、近所の巨乳の朝散歩に遭遇しちゃったので、
今朝も、いいおっぱいしてるね!と声を掛け、わたくしは仕事に出かけたのですが、
その後、殿様ガエルと巨乳は一緒に朝散歩に行ったそうです。

あちこち歩いて、そろそろわんこ達のおやつタイムにしようとしたら、
歩道橋のポールにクワガタの存在を確認!
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殿様ガエルに食べられたら可哀想なので、隔離してくれた巨乳。
とても人道的かつ賢明な行動で、ダテに巨乳ではありません。

とりあえず、クワガタとしんのすけ。
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クワガタの正面。
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殿様ガエルと違い、クワガタよりおやつに必死のわんこ達。
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しかし、哺乳類から両生類に「くら替え」したココ母。
危惧はしていましたが、クワガタに興味を示すとは・・・
早く人間に戻ってほしいもんです(^_^;)

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